月刊なぐさとべ2011年11月11日号

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月刊 なぐさとべ vol.07
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前回は、奄美大島に残る祭祀を元に、名草戸畔(なぐ
さとべ)祭祀を想像してみた。そこで今回は、さらに踏
み込んで、祀る対象である自然の精霊の姿について考え
てみた。精霊信仰は、名草地方(現:和歌山市海南市)
に限らず、世界中に普遍的に存在している。しかし、精
霊そのものの話となると、ナグサトベのルーツや歴史か
ら外れてしまうため、本文に上手く入らなかった。ここ
では、水木しげる氏の妖怪解釈や、人類学者の岩田慶治
氏を参考に、ナグサトベのルーツ、東南アジアの精霊を
紹介したい。

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東南アジアの精霊と八百万の神
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〈妖怪と古代の精霊〉

ナグサトベの生きた時代、人々は、山や海、水や石に
宿る精霊を畏れ敬って暮らしていた。人々は、精霊と共
に生きていたのだ。では、精霊と共に生きるとは、一体
どういうことなのだろう。この答えは、意外に身近なと
ころにある。それは「妖怪」だ。
わたしの小学生のころの愛読書は、水木しげるの『小
学館入門百科シリーズ32 妖怪なんでも入門』だった。
後から調べると、この本は、昭和49年(1974)鬼太
郎ブーム到来と共に水木しげるが初めて記した、子供向
け妖怪入門書であった。当時はまだ妖怪が今のようにキ
ャラクター化されて世間に浸透していなかったせいか、
第1章の「妖怪を知る7つのポイント」には、妖怪の本
質について、しっかりしたことが書かれている。一部を
抜粋する。

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大昔の人々は、万物にたましいのようなものが宿って
いると考えていた。すなわち、木には木のたましいがあ
り、石には石のたましいがあり、夜寝しずまったころ、
踊りを踊っているかもしれないと考えていた。
妖怪のなかには、そうした大昔からいるようなものも
あり、江戸時代の人が、作ったり感じたりしたものもま
じっている。
感じたり、というのは、たとえば夜道を歩いていると、
ことにまっ暗な田んぼの道などの場合、なんとなく気持
ちがわるいので、急ぎ足になる。そうなると、よく足が
もつれたようになって思うように進まない。
すると恐怖心は倍になる。そんなとき、足にまつわり
ついているのは「すねこすり」という妖怪だ、というわ
けだ。
しかし、目には見えていなくても、そういう妖怪がい
ると考えたほうが、そのときの気持ちをよく表現できる。
そんなとき、妖怪は誕生するのだろう。

『小学館入門百科シリーズ32 妖怪なんでも入門』水
木しげる・著(小学館)
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夜の田んぼ道のような気持ちの悪い道を歩いていて、
思うように進まないとき、恐怖心に駆られて足に「すね
こすり」がまつわりついていると感じる、という文章に
は、「妖怪を感じる瞬間」の心の状態が的確に表現され
ている。妖怪とは、本来は、目には見えないけど何かが
いる、という感じのことであった。
この妖怪の定義は、そのまま精霊に置き換えたとして
も間違いではない。そして、水木氏は、こうした妖怪の
根源には、万物にたましいのようなものが宿ると考えて
いた「大昔の人」の心があると述べている。この「大昔」
は、感覚的に捉えると、ナグサトベの時代ぐらいのこと
だろう。

〈タイのピー信仰とナグサトベ〉

古来、万物のたましい、すなわち精霊は、目には見え
ないが存在していて、人間の暮らしに影響を及ぼすと考
えられてきた。前回、紹介した奄美大島の「ミャー」も、
何もない原っぱの空間そのものが神域と認識されてい
た。そこにいるカミ(精霊)は目には見えないが、人々
は豊穣や暮らしの安全をその原っぱで祈るのだ。
奄美大島のミャーとよく似たものが、東南アジアの「ピ
ー信仰」だ。ピー信仰を日本に紹介した岩田慶治氏は、
タイやラオス、ボルネオなど東南アジアの調査をおこな
ったことで知られる人類学者だ。タイやラオスは、ナグ
サトベのルーツと思われるスンダランドの一部でもあ
る。

タイやラオスでは、森、海、山、川、空気、犬、猫な
どの動物、人間の祖先に到るまで、森羅万象に「ピー」
という精霊が宿っていると信じられている。ピーは、目
に見えないが確かに存在していて、村の中や、村周辺の
森林に、祭りのたびに去来するピーを祀るための村祀
(そんし=ピーの家)が建てられている。村人は、何も
いないピーの家に、ケイトウの花や線香が供える。
このピーは、人間の暮らしに様々な影響を及ぼす。た
とえば、ご先祖のピーは、供物を捧げて祀ることで子孫
を守ってくれる。稲は大切なものなので、田んぼの隅に
稲のピーを祀る小さな「ピーの家」を建てて大切に祀り、
豊穣を祈る。しかし、稲に悪さをする悪霊ピーもいるの
で、ターレオという呪具を立てて悪霊ピーの侵害を防ぐ。
荒れ狂う危険な川も恐ろしい川ピーの仕業だ。病気にな
ったときも、悪霊ピーの仕業になることもあるという。
そんなときはモー・ピーという呪術師に頼んで対処して
もらうこともあるそうだ。そんな悪霊ピーと同時に、神
聖な樹木のピーもある。ピーの木は、日本のご神木のよ
うに供物を並べて祀られている。
このようにピーは、善と悪という枠組みで捉えられる
ものではない。人間の想像を超えた働きをする自然や、
亡くなった祖先と生きている人間の関係、原因の分から
ない病気など、暮らしの中で起こる様々な現象にピーが
関わっていると信じられているのだ。

ナグサトベの時代を生きた人たちが感じていた世界観
もピー信仰とよく似たものだったのではないだろうか。
ナグサトベたちも、精霊とコンタクトを取りながら、自
然と持ちつ持たれつで暮らしていたと想像するとイメ
ージが広がる。
わたしは、人間の心には、目に見える物質に、目に見
えない何かの働きがあると感じ取ることによって、はじ
めてものごとを了解する機能が存在しているように思
う。心が感じ取る、言葉で説明できない何かは、科学技
術や心理学がいかに発展しようとも、ピーや精霊、妖怪
としか表現できないのだ。

このピーは、日本の八百万の神ともよく似ている。鎮
守の森に建つ日本の神社は、がらんどうで偶像が祀られ
ているわけではない。本来、森そのものがカミであり、
森を神域として守るために社を建てたのだろう。これは、
タイの森林に建つピーの家によく似ている。東南アジア
から日本列島に到るアジアの広い範囲で、共通のアニミ
ズム信仰が息づいているのだ。なお、日本の神社をピー
のいる場所と見立てて、ピーを探すルポを、季刊『レポ』
4、5号に「ピー・スポットを探せ!」を寄稿したので、
日本の八百万の神とピーについては、ここでは繰り返さ
ない。そちらをお読みいただけば幸いだ。

〈漂泊の森の民~ピー信仰の根源~〉

タイのピー信仰は、主に平地で稲作と自然採集で暮ら
している村落に見られる。村の中には祖先を祀るピーの
家があり、田んぼには稲を祀るピーの家があり、村の周
辺の森林には木々に畏敬の念をこめてピーの家が建っ
ている。日本の農村を彷彿とさせる光景だ。祭祀につい
ては、ラオス北部のパ・タン村では、モー・モーという
巫女が村に何人もいるという。女性が神を取り次ぐとこ
ろは、ナグサトベに似ている。さらに平地に行くと、司
祭の男性と巫女のセットで祭祀を行うスタイルになる
そうだ。これはヒメヒコ制によく似ている。ナグサトベ
たちは、共同体を作って協力し合い、半農半漁の暮らし
をしていたと思われるので、あくまで想像だが、古代名
草にはパ・タン村のような光景が広がっていたのかもし
れない。

タイやラオスには、パ・タン村のラオ族やタイ族の他
にも、様々な民族が暮らしている。現在は存在している
かどうか不明だが、タイ北部の森には、自然採集のみで
暮らす漂泊民がいた。ピー・トング・ルアング族という。
「ピー・トング・ルアング」とは、タイ語で「黄色い葉
の精霊」という意味だそうだ。深い森でどんな暮らしを
しているのかよく分からない彼らを見た他の部族がつ
けた名だ。彼ら自身は、自分たちを「ユンブリ」と呼ぶ。
(『黄色い葉の精霊』ベルナツィーク・著/大林太良・
訳)
このピー・トング・ルアング族の精霊の捉え方は、ナ
グサトベよりさらに古い時代を連想させる。
彼らは、精霊はジャングルの「特定の木」に棲んでい
ると信じているという。特に太い木の幹には、父、母、
子の3人の精霊の家族が住んでいるそうだ。精霊は、水、
岩、山にはいない。樹木だけにいる。精霊の中には、ド
カット、バアと呼ばれる悪い精霊、グルライという善い
精霊がいる。ドカットは人間に危害を及ぼす存在で、住
処の前を通ると死ぬと信じられている。ドカットは河床
に棲んでいる。善い精霊グルライは木に棲み、人々を保
護してくれるそうだ。精霊に捧げる供物は、簡単に編ん
だ竹の皿の上に乗せた葉に置かれるだけ。祭壇や社はな
い。祭祀を行う巫女のような職能も存在しない。祭祀は
誰でも行うことができる。
原始林の中で、木の実や食べられる植物など、森の恵
みを食べて生きるきわめて原始的暮らし。野生動物に対
する抵抗力も弱く、川岸を歩いているときに子供が虎に
襲われて死ぬことも多いという。彼らは、森の精霊と共
に、生きることを生き、身体が動かなくなったら死んで
森に還るだけの人生を全うする。

彼らの暮らしには、簡単な祭祀しかなく、祭祀から派
生する縄文土器や埴輪のような芸術もない。文明という
ものを根幹から覆すような社会といえる。しかし、自然
の猛威に圧倒されるままで、病気や怪我をしたら死ぬに
任せるだけだというのに、自殺はいけないこととみなさ
れているそうだ。この状況において、この気高い精神は
いったい、どこから生まれてくるのだろうか。お金や時
間に支配され、窮屈に生きるわたしとは大違いだ。

そして、このか弱い森の民が、よき精霊は樹木にいる
と信じていることは興味深い。そこには、森の生命に対
する深いリスペクトが現れているような気がしてなら
ない。ナグサトベ以前の時代の、遠い夢の時代の片鱗が
ここにある。
今なお自然や自分たちの心までも破壊しつづける現代
人は、彼らの暮らしに何かを学ぶ必要があるのではない
だろうか。

2011年11月11日 満月 なかひら まい

参考文献
『小学館入門百科シリーズ32 妖怪なんでも入門』
水木しげる・著(小学館)
『草木虫魚の人類学』岩田慶治・著(淡交社)
『黄色い葉の精霊 インドシナの山岳民族誌』
ベルナツィーク・著/大林太良・訳(東洋文庫)

それでは、次回の配信をお楽しみに!

●ピー・スポットを探せ!
好評発売中の北尾トロ責任編集『レポ』4号・5号にて、
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月刊なぐさとべ2011年10月12日号

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月刊 なぐさとべ vol.06
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縄文の昔を生きた名草戸畔(なぐさとべ)が一体どん
な祭祀をしていたのか、という問題には、なかなかたど
り着くことができない。その理由は、五畿内のすぐとな
りに位置する和歌山には、早い時期に仏教などが移入し
たため、古い祭祀のことはよくわからないからだ。樹木
や山や清水を信仰していたことまでは想像がつくが、実
際の祭祀はどんなものかといわれても、確証のある答え
はない。しかし、ヤマト政権から離れた南九州や沖縄な
どの地域には、今もその片鱗が残っている。直接、ナグ
サトベに関わる資料とはいえないため『名草戸畔 古代
紀国の女王伝説』本文では取り上げることはできなかっ
たが、わたしはナグサトベもよく似た祭祀を行っていた
のではないか、と想像した。今回の「月刊 なぐさとべ」
では、『奄美に生きる日本古代文化』金久正・著を参考
にしながら、南の縄文の祭祀と名草戸畔(なぐさとべ)
を重ね合わせてみた。

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原っぱの祭祀場ミヤとナグサトベの祭祀
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奄美大島の民族学者、金久正(かねひさただし)によ
ると、奄美大島には「ミャー草(宮草)」と呼ばれる空
き地があるそうだ。そこは誰が見ても、草がぼうぼう生
えたただの空き地にしか映らないという。ところが、村
の年中行事となると、このミャーは神聖な祭祀場へと変
貌するというのだ。
ミャーは、明らかに「宮」の訛りだ。かつては、村の
空き地に祭祀をするための宮を建てていたが、次第に宮
の立つ空き地ごと「ミャー」や「ミャード」などと呼ば
れるようになったらしい。この空き地は、開墾したり木
を伐ったりすると障りがあるといわれ、今でも手つかず
で残されているそうだ。
奄美渡島や沖縄にはノロと呼ばれる神官(巫女)がい
る。おそらく奄美大島では、ノロが神聖な原っぱに建て
た宮(ホコラ)=ミャーに向かって祈り、祭祀を行って
いたのだろう。
地域によっては、ミャーのそばには「刀禰屋(トネヤ)」
という建物が立っているそうだ。
トネとは、村の長を表す言葉で、平安時代の文献など
にたびたび登場する。トネヤとは、「村長の屋敷」と解
釈できる。加計呂麻(かけろま)島東部の諸数(しょか
ず)部落には、空き地にトネヤシキがあり、今では個人
の住宅になっているが、かつては神官ノロが住んでいた
そうだ。

トネの語感は、名草戸畔(なぐさとべ)の「戸畔(ト
ベ)」によく似ている。また、ミャーのたたずまいは、
名草山の麓、吉原に鎮座する「中言神社」のホコラを連
想させる。「中言神社」は大きな社が建っているわけで
はなく、名草山の麓の木々に向かってこじんまりと佇ん
でいる。当然、社が建つ前は小さなホコラだけであって、
それ以前は空間そのものにカミサマが宿っていたはず
だ。そうやって考えていくと、ナグサトベが、奄美大島
の神官ノロのように、小さな神聖な空間でホコラに向か
って祈っていた姿が心のなかに浮かんでくる。

神々に祈りを捧げるミャーは、山の上の方と海の方に
あるそうだ。山では山神を祀り、海では海の神を祀って
いるという。ミャーは、最初は山にだけあったが、農耕
の発達により、人々が徐々に平地に進出していき、海に
も作られるようになったと考えられている。現在もミャ
ーは両方にあるのだが、山のミャーのなかには忘れられ
ているものもあるらしい。
そういえば、名草山の南にある「内原神社」の宮司さ
は「昔、お社はもっと山の上の方にあったのだが、平地
に進出するにつれ、裾に移動していった」と話していた。

ミャーのホコラの構造は、茅葺きの小屋で、西の真ん
中に戸口があり、北側に入り口があるが戸はなく開けっ
ぴろげだ。周囲は板壁で、上部には屋根がなく、青空が
覗いている。
これとよく似た神社が紀伊半島・熊野の山中にある。
天井がないばかりか、社そのものもない神社だ。何でも
屋根のあるお社を造ると、火事で燃えてしまうのだとい
う。
その神社の祭神もよくわかっておらず、山で仕事をす
る人たちが、山の中に生えた樹木をご神木として大切に
した森を「神林」として祀ったのではないか、といわれ
ている。
屋根を作らなかったのは、その森林の精霊が出入りで
きなくなってしまうからではないだろうか。つまりお社
と「神林」は一体となってこそ意味をなすのだ。お社に
屋根をつけてフタをすると、カミサマが怒って火事を起
こすのかもしれない。
名草から目と鼻の先の山深い熊野には、まだ奄美大島
とよく似た古代のアニムズム信仰が残っている。

名草地方には、はっきりしたかたちで祭祀が残ってい
るわけではない。しかし、日本全国を見渡すと、古代の
祭祀の片鱗をあちこちに見出すことができる。想像力を
働かせ、それらをナグサトベたちに重ね合わせ、祭祀を
行う様子を思い浮かべてみるのもいいだろう。

『奄美に生きる日本古代文化』は、2011年7月に南方
新社より復刊した。ご興味のある方はぜひお読み下さい。

2011年10月12日満月 なかひら まい

月刊なぐさとべ9月12日号

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月刊 なぐさとべ vol.05

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遺体切断伝承の謎を解く
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「ナグサトベの遺体を三つに切断して埋めたのは、怨霊
封じ込めのためではないでしょうか。神武軍にやられた
わけですし」

たまにそういう感想をいただくことがある。本を読ん
だ方はご存知かと思うが、遺体切断伝承のわたしの見解
は「怨霊鎮め」ではない。簡単に書くと次のようになる。

ナグサトベは遺体を三つに切断され、三つの神社に埋
められた。それぞれの神社は、主祭神とともに食物の神
である「ウガノミタマノミコト」が祀られている。さら
に頭やお腹や足を守る神様として、現代でも和歌山市海
南市の人たちに慕われている。
この遺体切断伝承は、ハイヌヴェレ型神話の「類型」
といえる。ハイヌヴェレ型神話とは、殺され、切り刻ま
れた女神の身体からイモや雑穀が生えてくるというス
トーリーを持つ神話のこと。主に東南アジアから日本ま
で広く世界に分布している。農耕を営むアジア人にとっ
て、穀物発生の起源を説明する物語だ。すると遺体を切
断されたナグサトベは、土地の人たちに「穀物の神=豊
穣の女神」として愛されてきたと考えられる。怨霊とし
て鎮める対象にされてきたとは、とうてい思えない。

本文ではもっとページ数を割いてハイヌヴェレ型神話
について書いた。
ところが本を読んだあとでも「封じ込めではないか」
という疑問の声を上げる人がいる。自分ではかなりくわ
しく説明したつもりだったが、まだ足りなかったようだ。
そこで今回の「ナグサトベ通信」で、そのことについて、
もうちょっと書き足すことにした。

「封じ込め説」に唱える人はたいてい「遺体切断=残
酷」という先入観をもっている。つまり「理由がどうで
あれ、そんな悲惨なめにあったのだから、怨んでいるに
決まっている」という考え方が立脚点になっている。
しかし、それは現代人の視点にすぎない。
縄文や弥生に生きた人たちが、果たして、遺体を切断
する=残酷という考え方をもっていたのかどうか。まず
そこから検証する必要がある。たしかに遺体をわざわざ
切断して埋めるという行為は、現代人の感覚からすれば
気持ちのいいものではない。切断された遺体からイモや
穀物が生まれるというハイヌヴェレ型神話も、とらえよ
うによっては、何とも薄気味悪い話だ。一体どこが五穀
豊穣なのかさっぱりわからない人もいるだろう。
しかし、それもこれも現代人の感覚にしかすぎない。
果たして現代人の尺度で古代に生きた人を計ってもい
いのだろうか。古代史の本のなかには、古代人の心の状
態が現代人とは違っていることを考慮せず、無自覚に現
代人の心を投影しているケースも目につく。
それこそ古代人にとって「残酷な行為」なのではない
か。

林道義氏の『ユング心理学と日本神話』によると、神
話には、普段の意識には顕れない「元型的な意味」をも
つ事柄が記されているという。
たとえば、『古事記』には、スサノオが母を恋しがっ
て泣きわめくと、青山を枯らし河や海はことごとく枯れ
るという、かなり大げさな表現が見られる。
このスサノオの泣き方をみて「母に対する甘え」を表
しているという解釈をする人が多い。しかし、林氏によ
ると、それは「意識の表面で神話を解釈しているにすぎ
ない」ということになる。

=================
神が泣くのを甘えて泣く、あるいは子供だから泣くと
見るのは、言わば「人間的」意識的な見方であって、神
話のシンボルを解釈するさいの正しい見方とは言いが
たい。神は決して弱くて泣くのではない。神が泣くとき
はたいへん恐ろしいのであって、そのときは世界が不毛
になり、あらゆる植物は枯れ死に、動物は死滅し、世の
中は暗闇となる。反対に神が笑うと世界の生気は復活し、
花は咲き鳥は歌い穀物が実る。
(『ユング心理学と日本神話』より抜粋)
=================

切断した女神の遺体から穀物が発生するという神話も、
人間の普段の意識とは異なる次元の物語だ。
視野を広げてこの神話をとらえると、女神の身体は地
球を表し、穀物はそこから生命が芽生えるといった、ダ
イナミックな世界観を表しているようにも思える。字面
だけを追うと薄気味悪い話のように思えるが、実は、物
事の始原を表すような、元型的な物語だと解釈できるの
だ。
ハイヌヴェレ型と同型の物語を内包するナグサトベ遺
体切断伝承も、同じように元型的な意味を含んでいる。
この物語の字面だけを追って、残酷であるとか、神武軍
に殺された恨みが云々といった「人間的な次元」で捉え
るのは実に短絡的であり、正しい見方ではない。ナグサ
トベは生命の芽生えを象徴するしあわせなシンボルな
のだ。
ナグサトベ伝承は、元型的な物語が消されず(意識下
に埋もれず)、生命力に溢れた物語に宿って生きながら
えてきたのだ。怨霊になる理由は見あたらない。

2011年9月12日満月 なかひら まい


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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
小薮繁喜・小野田寛郎 取材協力
小野田麻里 写真
スタジオ・エム・オー・ジー 刊
リアル書籍 1,500円+税(名草山ポストカード付)
電子書籍(iPadのみ対応) 900円税込(カラー図版/カラー写真 多数収録)
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STUDIO M.O.G.のショップでは
著者サイン&イラスト入りの本を販売しています。
どうぞご利用ください。

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なかひら まい公式サイト:http://studiomog.ne.jp/nakahira/
STUDIO M.O.G.のショップ:http://studiomog.ne.jp/moon/
名草戸畔(なぐさとべ)公式サイト:http://studiomog.ne.jp/lineup/nagusa/
名草戸畔(なぐさとべ)ツイッター:http://twitter.com/nagusatobe
公式無料メルマガ「月刊なぐさとべ」:http://www.mag2.com/m/0001281151.html 
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月刊なぐさとべ2011年8月14日号

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月刊 なぐさとべ vol.04

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名草戸畔講演会レポート

 この講演会実現のきっかけになったのは、名草戸畔本
の出版直後にいただいた一通の手紙だった。手紙の主は、
阪東晃一さん。名草神社宮司家・T家のご親戚の方だ。
阪東さんは、子どもの頃、お祖父様から「名草山に神様
が降りたってあたりを治めた。その時の家来がいて、T
家の先祖はその何番目かの家臣であった」という言い伝
えを聞いたことがある、というのだ。

 T家といえば、明治時代の時点で65代になる旧家で、
代々名草神社(元・中言神社)の宮司家だ。わたしは以
前、和歌山取材で名草神社に訪れた際、偶然、現・宮司
のTさんにお会いしたことがある。

「先代が詳しかったのですが、ついこの間亡くなってし
まいまして、神社のことは、わからなくなってしまった
のです」

 Tさんは、そうつぶやいた。わたしたちがナグサトベ
について調べているというと、参考にして欲しいと亡く
なった先代宮司が書いた明細帳のコピーをくださった。

 本ができたのは、それから2年後の2010年暮れ。お
世話になった神社に献本したところ、大変な反響をいた
だいた。いろんな事情で地元の人すら分からなくなって
いた伝承を再発見した価値を最初に理解してくれたの
は、やはりナグサトベ縁の神社の方達であった。

 阪東さんは、わたしがTさんに献本した名草戸畔本を
読んで、手紙を送ってくれた。実は、阪東さんのお祖父
様というのは、亡くなった名草神社の先代宮司だった。

 阪東さんは、現在、ホリスティックネットワークの事
務局長を務めている。「ホリスティック」とは、伝統医
学、東洋医学、精神活動など、すべてを総合的に利用し
て病気を治していくという考え方のこと。和歌山のホリ
スティックネットワークは、西本クリニックの西本真司
院長が主催している。

 ホリスティックネットワークでは、毎年、いろいろな
ジャンルから講師を招いて講演会を開いている。そこで
夏にはナグサトベの講演を、というお話をいただいたの
だ。話をいただいたのは、私が今年の3月20日にカン
タ・デル・ソルの閉店お別れパーティに和歌山に行った
ときのことだ。

 西本先生も『日本書紀』とはちがい、土地の人たちの
目線で語られてきた伝承が和歌山に残っていたことに、
大きな関心をもっていた。

 講演の2週間前には、『ニュース和歌山』にも情報が
掲載された。編集長の高垣善信さんは、ナグサトベの本
を読んで「和歌山に対する見方が確実に変わる本」と評
価してくださった。3月には取材も受け、ナグサトベ伝
承は大きく取り上げられた。

 そうやって、たくさんの人たちの協力を得て、7月
24日を迎えた。

 驚いたことに、開演時間が近づくにつれ、会場には、
どんどん人が集まってきた。後で聞いたところ来場者は
91人。スタッフを入れると100人を越えていた。有料
の講演会にもかかわらず、たくさんの人にいらしていた
だき、本当に感謝している。

『名草戸畔(なぐさとべ)』の本は、30代によく売れ
ていると書店の方から聞かされていた。しかし、当日、
会場にやって来たのは、年配の方が多かった。

 本書にも記したが、ナグサトベ伝承は、戦時中、いろ
んな事情で公に語られなくなった。戦後66年というこ
とを考えれば、60代・70代の方たちはちょうどナグサ
トベ伝承を知ることができなかった世代の人たちだ。

 この本で伝承を採集した小薮繁喜さん、小野田寛郎さ
んは現在80代後半。彼らが伝承を聞いた最後の世代な
のだ。

 ナグサトベの名前は聞いたことがあっても、詳細につ
いて知らない方たちが、伝承を知ろうとたくさんやって
来たように思われる。聴衆のみなさんからすると若輩者
の私が語り部だというのもおかしな話だが、同時に、語
り部の役割をおおせつかったことをありがたく思いな
がら、お話しをさせてもらった。

 会場には、本にたくさん付箋を付けているマニアック
な方と、本を読んでいない方が半々ぐらい来ていたよう
だ。限られた時間で深いところまで話すよりも、本の内
容をわかりやすく伝えることを優先した。だから、マニ
アックな方には少し物足りなかったかもしれない。
 わたしが言いたかったことは、とてもシンプルだ。箇
条書きにすると次のようになる。

1.ナグサトベは、ここにいるみなさんの遠い祖先である
こと。

2.王権によって押しつけられたストーリーではなく、
「ここに住む人たちの思いが語り継がれた物語が残っ
ている」という事実が重要であるということ。

3.権力とは無関係な素朴な自然信仰が、名草山、楠(イ
タケル)、山の祖霊信仰として、今もはっきりと残って
いること。

4.こういう物語が見えなくなることによって、山の自然
に守られているような安心感や、自然に対する畏怖の現
れとしての妖怪に出会う「感受性」が失われると、確実
に心は荒んでいく。和歌山には、名草山をはじめ、こう
した感受性を取り戻す装置がたくさん残っているのこ
と。その財産を、どうか大切にして欲しいということ。

 会場には、故・吉野裕子氏の弟子だったという民俗学
の先生や、郷土史を研究している方もいらっしゃった。
かと思えば、名草山をカンナビ山であったことを知らず、
登山の練習用の山として登っていた方もいた。そういう
方にとっては、かなりインパクトのある話だったと思う。

 和歌山に限らず、各地の伝承は忘れられ、心の財産や、
観光資源にもなるような神社の価値を自ら捨ててしま
いがちだ。町おこしにゆるキャラの着ぐるみをつくって
いる場合ではないのだ。その土地の伝承に静かに耳を傾
ければ、観光資源など、いくらでも掘り起こせる。

 わたしは伝承も何もなく、妖怪も出ない埋め立て地で
生まれ育った。東京都民が出したゴミの上につくられた
土地に暮らしていた。そんなわたしにとって、縄文時代
からの伝承が残る和歌山は夢のような場所だ。

 一度捨てられた古い伝承を「再発見」する時期が来て
いるのかもしれない。

2011年8月14日 なかひら まい


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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
小薮繁喜・小野田寛郎 取材協力
小野田麻里 写真
スタジオ・エム・オー・ジー 刊
リアル書籍 1,500円+税(名草山ポストカード付)
電子書籍(iPadのみ対応) 900円税込(カラー図版/カラー写真 多数収録)
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名草戸畔の講演会@和歌山は大盛況のうちに終了しました

『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』の著者なかひら まい による
名草戸畔講演会@和歌山は大盛況のうちに終了しました。
予想を超える91名もの方が参加したそうです。
本当にありがとうございました。
名草戸畔は現代も生きています。
名草山、6社ある中言神社、杉尾神社、千種神社に
名草戸畔に会いに行ってください。
太古からつづく里の風景を大事にしてください。
私たちも名草の心性を世に伝えるべく
活動をつづけようと思います。


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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
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なかひら まい 講演会@和歌山 2011.7.24

『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』講演会
とき:2011年7月24日(日)
13:00開場/13:30開演(終了16:00予定)
会場:和歌山中央コミュニティセンター1階
参加費:1,000円(当日1,300円)
内容:なかひら まい講演・西本真司(西本クリニック医院長)氏との対談・サイン会など。

前売りは、ホリスティックネットワーク事務局
080-6183-0652までお電話して予約してください。

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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
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月刊なぐさとべ第3号

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月刊 なぐさとべ vol.03
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前回の「月刊 なぐさとべ」では、ポリネシア人のカヌ
ー(船)と樹木の信仰や民族のルーツが、海洋民族であ
った古代名草とも共通点が多いことを明らかにした。今
回は、ポリネシア人や東南アジア、日本列島などに見ら
れる古代の生け贄祭祀について。現代人の心性には、と
うていそぐわない生け贄には、一体どんな意味があった
のか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ハイヌヴェレ型神話と生け贄祭祀の話

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<ポリネシアの生け贄祭祀>

ポリネシアでも、かつて生け贄祭祀が行われていたそ
うだ。
ポリネシアでは、大きなカヌーを造る場合は、その作
業は何年にもおよび、船大工が数百人に及ぶこともあっ
た。船の建造主は大人数の船大工たちに食事を提供した
という。カヌー造りは、大変な労力を要する作業だった
のだ。
カヌーが完成した後は、生け贄を得るために、近隣の
部族を襲撃するケースもあったという。ポリネシア海域
の古代人が生け贄の儀式を行ったのは、人間に「マナ」
という超自然の力が宿ると信じられていたからだ。人間
を犠牲にして、「マナ」を自然の精霊に捧げることによ
って、カヌーの無事を祈ったのだ。
ポリネシアの古代人にとってカヌーは、人間の生命よ
り大切なものだった。

<生け贄の意味>

生け贄は、西欧文明社会からは、野蛮な行為として批
判されてきた。もちろん、現代の倫理観からすると、到
底容認できるものではない。

しかし生け贄の儀式から見えてくる古代の風景は、わ
たしたちが忘れ去った大切なことを内包している。

環境考古学者の安田喜憲氏は、生け贄の儀式は、古代
人が人間の生命より、自然(=カヌーを造る木)の方を
上位に考えていたことを表している、という。古代人に
は、人間が生きるためなら、森の木々を破壊してもよい
という発想はない。逆に、森に生かしてもらうために、
人の命を森の精霊に捧げたのだ。

生け贄の儀式は、自然と共生していた人々の心性がも
たらしたものだった。

<ケルトの生け贄祭祀>

生け贄祭祀は、ローマ帝国の侵入以前のケルト文化に
も見られる。
狩猟と農耕を営むケルト人にとって、自然の猛威は恐
ろしいものだった。ケルト人たちは、遠く離れた暗い森
には、大きな力をもった恐ろしい精霊が大勢、棲んでい
ると考えていた。それらは、樹木や岩山、泉などに棲み、
人間を忌み嫌っていると考えた。
精霊というと善良なイメージで語られることが多いが、
が、ケルトの精霊は人間にひどいイタズラをする者も多
い。

そこには、ケルト人の自然に対する畏怖の念が反映され
ているからだ。
ローマ軍に追われたケルト人が最後に移住したのは、
アイルランドやスコットランド、フランスの一部だった。
北アイルランドでは、昔、バン河の女神に捧げるため、
毎年子どもを一人、生け贄に捧げていたという。バン河
が荒れて洪水を起こさないように祈るためだ。ローマ帝
国侵攻後も、この習慣をなくすことはできなかったとい
う。

<日本の生け贄祭祀>

日本にも、よく似た生け贄祭祀がある。
まず、ひとつ目は、ナグサトベの遺体切断伝承だ。こ
れはハイヌヴェレ型神話と同型で、五穀豊穣の祈りを捧
げるための、人身供儀と考えていい。
『魏志倭人伝』には、船が出航する際「持衰(じさい)」
という人間を乗せる話が出てくる。航行が無事に済めば
持衰は歓待を受けるが、嵐などで支障をきたした場合は、
その責任を取るために殺されたという。この場合も、自
然の猛威に対する畏れから、生け贄を捧げる風習が生ま
れたと考えられる。
日本では、江戸時代になっても、橋の建造などの際、
人柱の習慣があった。橋を打ち砕く暴れ川の、自然の猛
威を鎮めるために人柱を必要としたのだ。
それらは一見、残酷にも思えるが、自然に対する畏怖
の念が、それだけ強かったということだ。

<神話的思考回路の復活に向けて>

現代において、生け贄祭祀をする必要はない。わたし
たちは古代のことを俯瞰し、研究し、自然を人間より上
に考える精神があったという事実に着目すれば、それで
事足りるからだ。
ナグサトベたちが生きたはるか古代の人たちは、地球
規模で自然に対する畏敬の念をもっていた。その心は、
自然を目に見えない精霊として擬人化した物語や、人間
にマナという見えない力が宿るといった素晴らしいイ
マジネーションの中に顕れている。そのことを心に刻む
ことが大切だ。
わたしは、こうした心の持ち方を「神話的思考回路」
と呼んでいる。現代人も、心の奥に眠っている「神話的
思考回路」をほんの少しでも復活させれば、豊かに生き
ていくことができるだろう。

2011年7月15日 なかひら まい

参考文献
『大和王朝の水軍~神武移住団と結んだポリネシアン
の秘史』中島洋/著
『一神教の闇 アニムズムの復権』安田喜憲/著
『ケルトの精霊物語』ボブ・カラン/著 萩野弘巳/訳


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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
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北尾トロ編集「レポ」4号に掲載されました


いろんなメディアに取り上げられている
『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』ですが
この度、名草戸畔(なぐさとべ)取材から派生した
なかひら まい の新ルポルタージュ
『ピー・スポットを探せ!』が
北尾トロ編集の話題の雑誌
『レポ』誌の巻頭記事として登場。
そのなかで『名草戸畔(なぐさとべ)
古代紀国の女王伝説』についても
長い文章を書きました。
 ピーとは東南アジアに古くからある
八百万の神に近い信仰で、

神社の原型ではないか、とにらみ、
独自の解釈で神社を訪ね歩く

「遊び」を提案しました。
興味がある方は御一読ください。
今回は「前編」の掲載です。
秋には「後編」が掲載されますのでお楽しみに。

レポ公式サイト:http://www.repo-zine.com/
 

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古代史ファンのオフ会・夏@高円寺 2011.7.2

なかひら まい主催で
「古代史ファンのオフ会・夏@高円寺」を開催します。
関西は古代史の本場とあって
いろんな会が催されていますが
関東、とくに東京の古代史ファンは
単独行動が主のように思われます。
そこでWe are not alone.という感じで
古代史に興味のある人が集まって
古代史談義をしようという会を催すことになりました。
名草戸畔(なぐさとべ)取材の裏話など
わいわい楽しくやりたいと思います。
皆さんもお気軽にご参加ください。
春夏秋冬、年4回やろうと思っています。

なかひら まい presents
古代史ファンのオフ会・夏@高円寺
2011年7月2日土曜日午後6時より
高円寺ぢどり亭(03-5327-4129)
参加費:飲食代を参加者で割り勘
ご予約はこちらから。

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ポリネシア海洋民の樹木神とナグサトベ

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月刊 なぐさとべ vol.02
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前回の「月刊 なぐさとべ」は、小野田家に伝わってき
た「名草戸畔(なぐさとべ)長身説」を追いかけてみた。
『大和王朝の水軍~神武移住団と結んだポリネシアン
の秘史』の著者、中島洋氏は、遠洋航海技術に長けたポ
リネシア人が、カヌーで紀伊半島に渡ってきたのではな
いか、と推測している。そのポリネシア人は長身でがっ
しりとした体格をもつことで知られている。ナグサトベ
が長身だという説の背景には、どうやらポリネシアの存
在があるようだ。第2回目は、ポリネシア人のルーツや、
巧みな航海術とカヌー造り、信仰について調べ、古代名
草との関連を探ってみた。


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ポリネシア海洋民の樹木神とナグサトベ
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<優れた舟の技術を持っていたポリネシア人>

古代のポリネシアの人たちは、どうやって広大な太平
洋の海域に渡り、勢力を広めていったのだろうか。

ポリネシア人の遠い祖先は、オーストラロイド語を話
し、ラピタ土器という独特の土器を作る「ラピタ人」だ
という。ラピタ人は、紀元前2500年ぐらい前にスンダ
ランドの北、台湾あたりを南下し、およそ3000年前に、
ポリネシア海域に移住したらしい。人類史上初めて太平
洋の広大な海域に進出したことから、優れた遠洋航海術
をもつ民族だったと考えられている。このラピタ人の遺
跡やラピタ土器が、フィジー、サモア、トンガなどで見
つかっている。

かつてラピタ人がいたスンダランドは、昔、存在して
いた巨大な半島だ。紀元前12000年頃から4000年ぐ
らいまでに進んだ海面上昇によって徐々に水没し、現在
のマレー半島やインドネシアの島々となった。海に囲ま
れた島々に住む人たちは、筏や丸木船(カヌー)を生み
出し、優れた航海技術を身につけていった。ラピタ人が
ポリネシア海域に進出できるほどの優れた航海術を編
み出したのは、スンダランドの海で暮らしていたためだ
ろう。
ポリネシアには、農作物や豚や犬などの家畜も積み込
み可能の双胴のカヌー(二つのカヌーが横に連結された
大型カヌー)の建造技術が今も残されている。双胴カヌ
ー建造技術がいつごろからあるのか、正確なことはわか
らないが、ラピタ時代からの長年の蓄積によって育まれ
ていったのではないだろうか。ポリネシア人の長身で頑
丈な体躯も、遠洋航海に耐えるために発達したのではな
いか、という説もある。

<ポリネシア人と名草人の共通点>

『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』にも書いたが、ナグ
サトベの祖先も、この海面上昇によって、スンダランド
から日本列島南端の鹿児島に渡ってきた人々(早期の縄
文人)と考えられる。ポリネシア人と古代名草の人たち
のルーツはほぼ同じと考えてもいいだろう。古代ポリネ
シアと古代名草の暮らしや文化には、いろいろと共通点
がある。

ポリネシアのカヌーは石器で作られ、鉄の釘などの金
属は一切使われていないそうだ。ポリネシアの人たちは、
1767年にタヒチに上陸したイギリスの軍艦「ドルフィ
ン号」によって鉄釘が持ち込まれるまで、独自の文化、
信仰を育んできた。
男性は石器でカヌーを造って魚や鯨を獲り、女性は豚
などの家畜を飼い、漁撈のための網を作り、タロイモや
サツマイモの栽培をしていたそうだ。石器と木と船の文
化をもち、半農半漁の暮らしを営んでいるところは、ナ
グサトベたちともよく似ている。遠い海の向こうにある
ハワイやタヒチの島々は、日本列島の縄文文化とも共通
する部分が多い。

インターネットで興味深い記事を見つけた。
ポリネシアの西側にあたるメラネシア海域にトロブリ
アント諸島がある。その島の一つキリウィナ島のオマラ
カナ村では、はるか昔から「遠い昔に日本から先祖たち
がキリウィナ島にやって来た」という言い伝えがあると
いうのだ。これは面白い。太平洋に面した紀伊半島に住
む、古代名草や熊野の人たちのなかに、黒潮ルートから
外れ、大海原を越えてポリネシアの島に渡った人がいた
かもしれないのだ。何しろ紀州人は、昔から航海術に長
けていて、鯨漁や遠洋漁業の優れた技術をもっていた。
鯨や魚を追って長距離を海上移動し、北海道や長崎に移
住した紀州人も多い。小笠原諸島に最初に渡った日本人
も紀州人だ。遠くポリネシアまで至ったツワモノがいて
もおかしくはない。

<木と共に生きていた人たち>

では、ポリネシア人たちは、どんな信仰をもっていた
のだろうか。古代名草の人たちとの共通点はあるのだろ
うか。
調べてみると、ポリネシアで最も重要な祭祀はカヌー
を造る作業だとわかった。カヌーの建造そのものが、神
聖な宗教的儀式だという。儀式の内容を要約すると、次
のようになる。

カヌーの職人たちは、きれいに磨いて社に供えた手斧
を、空が白み始めた頃、海水に浸ける。日がのぼる前に、
その神聖な手斧を携えて森に入り、あらかじめ選んでお
いた木の許へ行く。木は森林の神「タネ」の子どもなの
で、伐採する前に木に祈りを捧げる。伐採した木でカヌ
ーを造り、完成したカヌーは真水で清められ、タネに供
えられる。進水の儀式では、カヌーを海に浮かべ、波が
舟に入りこむようにカヌーを揺すり、海水で満たす。こ
うすることで、カヌーを海にお披露目するのだという。
わたしにはポリネシアの人たちがカヌーの儀式を通し
て、海と対話しているように思えた。彼らは神聖な森の
木を使ってカヌーを造り、大海原を移動して海の魚を獲
る暮らしのなかで、森や海に生かされていることを実感
していたのではないだろうか。

わたしは『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』で、古代
名草の人たちは、クスノキの神「楠神」を祀っていたと
考えている、と書いた。海洋性の強い暮らしをしていた
名草の祖先は、丸木船を造るための木を何より大切なも
のだと考えていたのだ。
楠神は、植林の技術を伝えたと伝わる「五十猛命(い
たけるのみこと)」に変化していったが、本質は変わら
ない。イタケルノミコトを祀る「伊太祁曽(いたきそ)
神社」では、木は「浮き宝の神」と呼ばれ、今も大切に
祀られている。西日本全域と紀伊半島に今も多く見られ
るクスノキのご神木には、ポリネシアの森林の神タネと
同じ神が宿っているように思う。

<日本全国に伝わる木の神々>

木の信仰が残されているのは、名草地方だけではない。
中島洋氏によると、伊勢神宮で行われている「山口祭」
「木本祭(このもとさい)」「御杣始祭(みそまはじめ
さい)」「御樋代木奉曳式(みひしろほうえいしき)」
「御船代祭(みふなしろさい)」の祭祀は、カヌーの祭
祀とよく似ているという。
「山口祭」では、木を伐り出す際に杣山の入り口で神を
祭り、伐採や運搬の安全を祈り、「木本祭」では、正殿
の心御柱(しんのみはしら)に使う木を伐採する前に、
その木に宿る神を祀る。「御杣始祭」は、神殿に奉置す
るご神体を納める「御樋代」のための木を伐採する際に
行われる。「御樋代木奉曳式」は、御樋代に使用する木
を宮内に運び込む儀式。この木は、五十鈴川を曳いてい
くそうだ。「御船代祭」は、「御樋代」を納める「御船
代」を造るための木を伐採する前に、その木に宿る神を
祀る祭祀だ。

神殿を造る際に使う多くの木の神を祀るところは、森
林の神タネを祀る祭祀とよく似ている。ご神体を納める
容器が「御樋代」や「御船代」と呼ばれ、舟の意味をも
っているところも興味深い。「御樋代」の樋(ひ=とい)
は水路、代は寄り代と考えると、「御樋代」とは、川に
浮かぶ船を表しているとも推測できる。

伊勢神宮の天照大神は、本来は淡路の海の民が祀るロ
ーカルの女神であった。アマテラスが皇祖神となったの
は、天武・持統朝の時代のことだ。伊勢神宮の祭祀に、
古代名草やポリネシアと同じ信仰、祭祀が受け継がれて
いるのも頷ける。
古代名草の樹木神は、遠い海を隔てたポリネシアとも
つながっているのだ。

2011年6月16日 なかひら まい

お詫びと訂正:第1回目で『神武移住団と結んだポリネ
シアンの秘史~大和王朝の水軍』の刊行年を1967年と
描きましたが、1976年の間違いでした。大変申しわけ
ありませんでした。お詫びと訂正をいたします。

参考文献
大和王朝の水軍~神武移住団と結んだポリネシアンの
秘史』中島洋/著

参考ウェブサイト
ハワイの神話と伝説http://www.legendaryhawaii.com/index.htm 
やしの実大学 http://www.yashinomi.to/index.html
日本人を祖先と信じているオマラカナ村の祖霊信仰
http://www.sizen-kankyo.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=12850


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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
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下記書店でも販売しています。
直接、書店までお問い合せください。

<東京地区>
BOOK CLUB KAI
〒107-0062 東京都港区南青山2-7-30 B1F
TEL 03-3403-6177
公式サイト http://www.bookclubkai.jp/

ナワ・プラサード(ほびっと村)
〒167-0053 東京都杉並区西荻南3-15-3
TEL 03-3332-1187
公式サイト http://www.nabra.co.jp/hobbit/

<和歌山地区>

帯伊書店(おびいしょてん)
〒640-8024 和歌山市元寺町1丁目69
TEL 073-422-0441

宮脇書店 ロイネット和歌山店
〒640-8156 和歌山市七番町26-1
TEL 073-402-1472

上野山書店
〒640-8241 和歌山市雑賀屋町東の丁64番地
TEL 073-422-2096

福岡書店
〒642-0032 海南市名高536-24
TEL 073-483-4608

名草戸畔 長身説の謎

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
月刊 なぐさとべ vol.01
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今回から配信がはじまった
月刊 なぐさとべ。
第1回目は「名草戸畔(なぐさとべ)長身説」を
追いかけてみました。
この話は取材中に入手していたのですが、
たしかな資料が出てこなかったので
本文には書きませんでした。
ただ内容がとても面白かったので
いろいろ資料をあさって
ここで紹介したいと思います。
感想や意見をどんどん
ツイートしていただければ嬉しいです。
twitter は @nagusatobe です。
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名草戸畔長身説の謎
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 小野田寛郎氏に取材した際、いろいろと面白い話を聞いたが、本には収まらなかった話がいくつかある。そのひとつが「ナグサトベは長身だった」という説だ。
  小野田口伝は、小野田寛郎氏が戦争に行く前にお父様から聞いた話で、外部の誰かによって手が加えられた話ではない。小野田氏は戦後約三十年間もルバング島 で過ごし、帰国後はブラジルに渡って牧場を立ち上げ、忙しい日々を過ごしてきた。自身で古代史を調べたりすることはなかったと思う。本が出来た後、わたし は、小野田氏から「父から聞いた話がまったく荒唐無稽な作り話でないことがわかり、ほっとした」という内容のお手紙をいただいた。
  ナグサトベが長身という話は、小野田口伝のなかでも異彩を放っていた。一般に縄文人の人骨は小柄で、弥生人のほうは長身といわれている。縄文人の血をひく ナグサトベが長身といわれてもピンとこない。なぜそのような説が小野田家に伝わっていたのだろうか。わたしはこの口伝の裏付けをとるために奔走したがそ、 とうとう資料が見つからなかった。頁数の関係もあって、残念ながら、『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』から、「ナグサトベ長身説」ははずしてしまった。
  あれはつい先日のことだった。ふらっと入った近くの古書店で、興味深い本をみつけた。タイトルは『神武移住団と結んだポリネシアンの秘史〜大和王朝の水 軍』。著者は中島洋氏。1967年、双葉社刊。目次を読むと、第一章のタイトルが「ポリネシアン、熊野に来たる」だ。わたしはこの本を目にしたときに、小 野田氏が語ってくれた「ナグサトベ長身説」が脳裏によみがえった。
『神 武移住団と結んだポリネシアンの秘史〜大和王朝の水軍』は、古代、紀伊半島に移住したポリネシア人がいたことを様々な証拠を元に推測した本だった。熊野に は、地元の人たちに「猪垣(ししがき)」と呼ばれる謎の遺跡がある。この遺跡は、年代も用途もまったく不明で伝承も口伝もない。昭和49〜50年にかけて 大阪の古代史研究家・野村孝彦氏によって発見された。中島氏は、著書の中で、この遺跡がハワイやオアフ島など、ポリネシアの島にある石垣とよく似ているこ とを知り、紀伊半島にはポリネシアからの移住団が存在したのではないか、と考えた。ポリネシアとは、ニュージーランドとイースター島、ハワイ島を頂点とし た三角形の海域を指す。太平洋のど真ん中の広大な海域だ。
  ポリネシア人は、アジア人と同じモンゴロイドだが、西欧人のように長身でがっしりとした体格をしている。中島氏は、先住系のナガスネヒコは、熊野から大阪 に移住したポリネシアンと推測し「ナガスネヒコというのは身体の大きいポリネシアンに倭人がつけた別名だったのでは」と語る。そういえば、15世紀に実在 した与那国島の女王サンアイ・イソバも巨漢の女性だったそうだ。琉球では15世紀になっても縄文時代のような暮らしや文化が続いていた。かつてポリネシア 系の遺伝子をもつ人たちが琉球にも移住したのだろうか。そういう推測も成り立つ。
  先住民が長身だという説のソースの根っこにはポリネシアの存在があるのかもしれない。だとすると、小野田口伝がいうように、ナグサトベが長身の女王だった としても違和感はない。ポリネシア人のルーツは古代名草の人たちと同じ東南アジアの人たちだ。東南アジアの人たちは、人が増えすぎた、あるいは、他民族の 襲来などの理由により、様々な地域に移住した。名草の人たちのように、大陸沿岸を通って九州に上陸したと考えられるグループもいれば、ポリネシアの島々に 移住した人たちもいたと思われる。ポリネシア人の祖先が、東南アジアからフィジー、トンガ、サモア諸島、ハワイなどの島々に住み始めた時期は今から 3000年ぐらい前らしい。中島氏は、それを考慮すると、ポリネシア人が紀伊半島に移住したのは、紀元0年頃、つまり2000年ほど前ではないかという。 「小野田口伝」とは、移住ルートも移住の年代も違うけれど、紀伊半島には東南アジアをルーツとする、長身の古代人が途中でやってきたのかもしれない。名草 の人たちは本にも書いたように、いろんな人種とのハイブリッドだと思われる。この長身の人たちと融合したとしてもおかしくはない。小野田氏からいただいた 手紙によると、江戸時代、紀州人の刀は、平均の二尺二〜三寸より長く、二尺五〜六寸のものが好まれたという。その理由は、紀州人が日本人の平均より手足が 長く長身であったからだという。
  紀北のナグサトベに対して、紀南熊野を治めていたと伝わる女王・丹敷戸畔(にしきとべ)にまつわる、興味深い話がある。わたしがナグサトベについて調べ初 めて間もない頃、インターネット上で、次の内容の記事を見つけた。「戸畔(とべ)の森=串本町二色」と題された、2005年2月25日の記事だ。
 和歌山県の串本町二色には、「トベの森」といわれるこんもりとした小山がある。以前、わたしは、社長とフォトグラファーの小野田麻里さんと紀伊半島を一周したとき、この森に立ち寄ったことがある。
  記事によると、「この山の下に、トベの墓を守ってきた旧家がある」という。旧家とは、松井萬次さん(2005年当時93歳)の家だ。案内してくれたのは、 古座町文化財委員の上野一夫氏。何でも、松井さんの家には江戸時代初めから明治末までの一族の墓碑を写した古文書があった。古文書は漢文で書かれているの で、簡単には読むことはできない。そこで松井さんは上野氏に解読を依頼したそうだ。以下、記事の一部を抜粋させていただく。
<引用開始>
 筆で書かれた漢文を古座古文書研究会の谷口哲夫さんに解説してもらうと、内容はこうだ。
  「当家は二色戸畔の子孫か。塔の峰に埋められた瓶(かめ)で歴然としているように思える。寛政頃に瓶の中を盗まれ、安政の大津波で家にあった書き置きや宝 物は、家財と共に流されて今となっては調べようがない。語り伝えられてきたことを書き付けるしかない。塔の峰の石塔の下に古い瓶があり、長身の成人の朽ち た骨があった」
 「先祖のことを明らかにしてほしい」と子孫に託して序文は終わる。
<引用終わり>
(※二色は原文のまま)
  古文書によると、ニシキトベの墓といわれている塔の下に、長身の成人の朽ちた骨が瓶に収められていたという。ニシキトベは、紀北のナグサトベ同様、神武に はむかって殺されたと伝わる伝説の女王だ。長身の骨が本当にあったかどうか確かめようがないが、長身の女王と聞くと、鉄の農具をもって攻めてきた軍勢と 戦った与那国島のサンアイ・イソバを連想してしまう。
 紀州熊野には、かつて長身のポリネシアンの血を引く古代人がたくさん暮らしていたのかもしれない。そんなことを想像すると、今まで見えてこなかった古代の風景をイメージすることができる。
 さて、ではポリネシアにはどんな文化があったのだろうか。来月は、ポリネシアの文化とナグサトベについて検証していきたい。では、また満月の日に。
2011年5月17日 なかひら まい

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