北尾トロ編集「レポ」4号に掲載されました


いろんなメディアに取り上げられている
『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』ですが
この度、名草戸畔(なぐさとべ)取材から派生した
なかひら まい の新ルポルタージュ
『ピー・スポットを探せ!』が
北尾トロ編集の話題の雑誌
『レポ』誌の巻頭記事として登場。
そのなかで『名草戸畔(なぐさとべ)
古代紀国の女王伝説』についても
長い文章を書きました。
 ピーとは東南アジアに古くからある
八百万の神に近い信仰で、

神社の原型ではないか、とにらみ、
独自の解釈で神社を訪ね歩く

「遊び」を提案しました。
興味がある方は御一読ください。
今回は「前編」の掲載です。
秋には「後編」が掲載されますのでお楽しみに。

レポ公式サイト:http://www.repo-zine.com/
 

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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
小薮繁喜・小野田寛郎 取材協力
小野田麻里 写真
スタジオ・エム・オー・ジー 刊
リアル書籍 1,500円+税(名草山ポストカード付)
電子書籍(iPadのみ対応) 900円税込(カラー図版/カラー写真 多数収録)
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STUDIO M.O.G.のショップでは
著者サイン&イラスト入りの本を販売しています。
どうぞご利用ください。

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なかひら まい公式サイト:http://studiomog.ne.jp/nakahira/
STUDIO M.O.G.のショップ:http://studiomog.ne.jp/moon/
名草戸畔(なぐさとべ)公式サイト:http://studiomog.ne.jp/lineup/nagusa/
名草戸畔(なぐさとべ)ツイッター:http://twitter.com/nagusatobe
公式無料メルマガ「月刊なぐさとべ」:http://www.mag2.com/m/0001281151.html 
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古代史ファンのオフ会・夏@高円寺 2011.7.2

なかひら まい主催で
「古代史ファンのオフ会・夏@高円寺」を開催します。
関西は古代史の本場とあって
いろんな会が催されていますが
関東、とくに東京の古代史ファンは
単独行動が主のように思われます。
そこでWe are not alone.という感じで
古代史に興味のある人が集まって
古代史談義をしようという会を催すことになりました。
名草戸畔(なぐさとべ)取材の裏話など
わいわい楽しくやりたいと思います。
皆さんもお気軽にご参加ください。
春夏秋冬、年4回やろうと思っています。

なかひら まい presents
古代史ファンのオフ会・夏@高円寺
2011年7月2日土曜日午後6時より
高円寺ぢどり亭(03-5327-4129)
参加費:飲食代を参加者で割り勘
ご予約はこちらから。

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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
小薮繁喜・小野田寛郎 取材協力
小野田麻里 写真
スタジオ・エム・オー・ジー 刊
リアル書籍 1,500円+税(名草山ポストカード付)
電子書籍(iPadのみ対応) 900円税込(カラー図版/カラー写真 多数収録)
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STUDIO M.O.G.のショップでは
著者サイン&イラスト入りの本を販売しています。
どうぞご利用ください。

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なかひら まい公式サイト:http://studiomog.ne.jp/nakahira/
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ポリネシア海洋民の樹木神とナグサトベ

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月刊 なぐさとべ vol.02
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前回の「月刊 なぐさとべ」は、小野田家に伝わってき
た「名草戸畔(なぐさとべ)長身説」を追いかけてみた。
『大和王朝の水軍~神武移住団と結んだポリネシアン
の秘史』の著者、中島洋氏は、遠洋航海技術に長けたポ
リネシア人が、カヌーで紀伊半島に渡ってきたのではな
いか、と推測している。そのポリネシア人は長身でがっ
しりとした体格をもつことで知られている。ナグサトベ
が長身だという説の背景には、どうやらポリネシアの存
在があるようだ。第2回目は、ポリネシア人のルーツや、
巧みな航海術とカヌー造り、信仰について調べ、古代名
草との関連を探ってみた。


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ポリネシア海洋民の樹木神とナグサトベ
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<優れた舟の技術を持っていたポリネシア人>

古代のポリネシアの人たちは、どうやって広大な太平
洋の海域に渡り、勢力を広めていったのだろうか。

ポリネシア人の遠い祖先は、オーストラロイド語を話
し、ラピタ土器という独特の土器を作る「ラピタ人」だ
という。ラピタ人は、紀元前2500年ぐらい前にスンダ
ランドの北、台湾あたりを南下し、およそ3000年前に、
ポリネシア海域に移住したらしい。人類史上初めて太平
洋の広大な海域に進出したことから、優れた遠洋航海術
をもつ民族だったと考えられている。このラピタ人の遺
跡やラピタ土器が、フィジー、サモア、トンガなどで見
つかっている。

かつてラピタ人がいたスンダランドは、昔、存在して
いた巨大な半島だ。紀元前12000年頃から4000年ぐ
らいまでに進んだ海面上昇によって徐々に水没し、現在
のマレー半島やインドネシアの島々となった。海に囲ま
れた島々に住む人たちは、筏や丸木船(カヌー)を生み
出し、優れた航海技術を身につけていった。ラピタ人が
ポリネシア海域に進出できるほどの優れた航海術を編
み出したのは、スンダランドの海で暮らしていたためだ
ろう。
ポリネシアには、農作物や豚や犬などの家畜も積み込
み可能の双胴のカヌー(二つのカヌーが横に連結された
大型カヌー)の建造技術が今も残されている。双胴カヌ
ー建造技術がいつごろからあるのか、正確なことはわか
らないが、ラピタ時代からの長年の蓄積によって育まれ
ていったのではないだろうか。ポリネシア人の長身で頑
丈な体躯も、遠洋航海に耐えるために発達したのではな
いか、という説もある。

<ポリネシア人と名草人の共通点>

『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』にも書いたが、ナグ
サトベの祖先も、この海面上昇によって、スンダランド
から日本列島南端の鹿児島に渡ってきた人々(早期の縄
文人)と考えられる。ポリネシア人と古代名草の人たち
のルーツはほぼ同じと考えてもいいだろう。古代ポリネ
シアと古代名草の暮らしや文化には、いろいろと共通点
がある。

ポリネシアのカヌーは石器で作られ、鉄の釘などの金
属は一切使われていないそうだ。ポリネシアの人たちは、
1767年にタヒチに上陸したイギリスの軍艦「ドルフィ
ン号」によって鉄釘が持ち込まれるまで、独自の文化、
信仰を育んできた。
男性は石器でカヌーを造って魚や鯨を獲り、女性は豚
などの家畜を飼い、漁撈のための網を作り、タロイモや
サツマイモの栽培をしていたそうだ。石器と木と船の文
化をもち、半農半漁の暮らしを営んでいるところは、ナ
グサトベたちともよく似ている。遠い海の向こうにある
ハワイやタヒチの島々は、日本列島の縄文文化とも共通
する部分が多い。

インターネットで興味深い記事を見つけた。
ポリネシアの西側にあたるメラネシア海域にトロブリ
アント諸島がある。その島の一つキリウィナ島のオマラ
カナ村では、はるか昔から「遠い昔に日本から先祖たち
がキリウィナ島にやって来た」という言い伝えがあると
いうのだ。これは面白い。太平洋に面した紀伊半島に住
む、古代名草や熊野の人たちのなかに、黒潮ルートから
外れ、大海原を越えてポリネシアの島に渡った人がいた
かもしれないのだ。何しろ紀州人は、昔から航海術に長
けていて、鯨漁や遠洋漁業の優れた技術をもっていた。
鯨や魚を追って長距離を海上移動し、北海道や長崎に移
住した紀州人も多い。小笠原諸島に最初に渡った日本人
も紀州人だ。遠くポリネシアまで至ったツワモノがいて
もおかしくはない。

<木と共に生きていた人たち>

では、ポリネシア人たちは、どんな信仰をもっていた
のだろうか。古代名草の人たちとの共通点はあるのだろ
うか。
調べてみると、ポリネシアで最も重要な祭祀はカヌー
を造る作業だとわかった。カヌーの建造そのものが、神
聖な宗教的儀式だという。儀式の内容を要約すると、次
のようになる。

カヌーの職人たちは、きれいに磨いて社に供えた手斧
を、空が白み始めた頃、海水に浸ける。日がのぼる前に、
その神聖な手斧を携えて森に入り、あらかじめ選んでお
いた木の許へ行く。木は森林の神「タネ」の子どもなの
で、伐採する前に木に祈りを捧げる。伐採した木でカヌ
ーを造り、完成したカヌーは真水で清められ、タネに供
えられる。進水の儀式では、カヌーを海に浮かべ、波が
舟に入りこむようにカヌーを揺すり、海水で満たす。こ
うすることで、カヌーを海にお披露目するのだという。
わたしにはポリネシアの人たちがカヌーの儀式を通し
て、海と対話しているように思えた。彼らは神聖な森の
木を使ってカヌーを造り、大海原を移動して海の魚を獲
る暮らしのなかで、森や海に生かされていることを実感
していたのではないだろうか。

わたしは『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』で、古代
名草の人たちは、クスノキの神「楠神」を祀っていたと
考えている、と書いた。海洋性の強い暮らしをしていた
名草の祖先は、丸木船を造るための木を何より大切なも
のだと考えていたのだ。
楠神は、植林の技術を伝えたと伝わる「五十猛命(い
たけるのみこと)」に変化していったが、本質は変わら
ない。イタケルノミコトを祀る「伊太祁曽(いたきそ)
神社」では、木は「浮き宝の神」と呼ばれ、今も大切に
祀られている。西日本全域と紀伊半島に今も多く見られ
るクスノキのご神木には、ポリネシアの森林の神タネと
同じ神が宿っているように思う。

<日本全国に伝わる木の神々>

木の信仰が残されているのは、名草地方だけではない。
中島洋氏によると、伊勢神宮で行われている「山口祭」
「木本祭(このもとさい)」「御杣始祭(みそまはじめ
さい)」「御樋代木奉曳式(みひしろほうえいしき)」
「御船代祭(みふなしろさい)」の祭祀は、カヌーの祭
祀とよく似ているという。
「山口祭」では、木を伐り出す際に杣山の入り口で神を
祭り、伐採や運搬の安全を祈り、「木本祭」では、正殿
の心御柱(しんのみはしら)に使う木を伐採する前に、
その木に宿る神を祀る。「御杣始祭」は、神殿に奉置す
るご神体を納める「御樋代」のための木を伐採する際に
行われる。「御樋代木奉曳式」は、御樋代に使用する木
を宮内に運び込む儀式。この木は、五十鈴川を曳いてい
くそうだ。「御船代祭」は、「御樋代」を納める「御船
代」を造るための木を伐採する前に、その木に宿る神を
祀る祭祀だ。

神殿を造る際に使う多くの木の神を祀るところは、森
林の神タネを祀る祭祀とよく似ている。ご神体を納める
容器が「御樋代」や「御船代」と呼ばれ、舟の意味をも
っているところも興味深い。「御樋代」の樋(ひ=とい)
は水路、代は寄り代と考えると、「御樋代」とは、川に
浮かぶ船を表しているとも推測できる。

伊勢神宮の天照大神は、本来は淡路の海の民が祀るロ
ーカルの女神であった。アマテラスが皇祖神となったの
は、天武・持統朝の時代のことだ。伊勢神宮の祭祀に、
古代名草やポリネシアと同じ信仰、祭祀が受け継がれて
いるのも頷ける。
古代名草の樹木神は、遠い海を隔てたポリネシアとも
つながっているのだ。

2011年6月16日 なかひら まい

お詫びと訂正:第1回目で『神武移住団と結んだポリネ
シアンの秘史~大和王朝の水軍』の刊行年を1967年と
描きましたが、1976年の間違いでした。大変申しわけ
ありませんでした。お詫びと訂正をいたします。

参考文献
大和王朝の水軍~神武移住団と結んだポリネシアンの
秘史』中島洋/著

参考ウェブサイト
ハワイの神話と伝説http://www.legendaryhawaii.com/index.htm 
やしの実大学 http://www.yashinomi.to/index.html
日本人を祖先と信じているオマラカナ村の祖霊信仰
http://www.sizen-kankyo.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=12850


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『名草戸畔(なぐさとべ)古代紀国の女王伝説』
なかひら まい 著
小薮繁喜・小野田寛郎 取材協力
小野田麻里 写真
スタジオ・エム・オー・ジー 刊
リアル書籍 1,500円+税(名草山ポストカード付)
電子書籍(iPadのみ対応) 900円税込(カラー図版/カラー写真 多数収録)
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STUDIO M.O.G.のショップでは
著者サイン&イラスト入りの本を販売しています。
どうぞご利用ください。

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なかひら まい公式サイト:http://studiomog.ne.jp/nakahira/
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下記書店でも販売しています。
直接、書店までお問い合せください。

<東京地区>
BOOK CLUB KAI
〒107-0062 東京都港区南青山2-7-30 B1F
TEL 03-3403-6177
公式サイト http://www.bookclubkai.jp/

ナワ・プラサード(ほびっと村)
〒167-0053 東京都杉並区西荻南3-15-3
TEL 03-3332-1187
公式サイト http://www.nabra.co.jp/hobbit/

<和歌山地区>

帯伊書店(おびいしょてん)
〒640-8024 和歌山市元寺町1丁目69
TEL 073-422-0441

宮脇書店 ロイネット和歌山店
〒640-8156 和歌山市七番町26-1
TEL 073-402-1472

上野山書店
〒640-8241 和歌山市雑賀屋町東の丁64番地
TEL 073-422-2096

福岡書店
〒642-0032 海南市名高536-24
TEL 073-483-4608

名草戸畔 長身説の謎

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月刊 なぐさとべ vol.01
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今回から配信がはじまった
月刊 なぐさとべ。
第1回目は「名草戸畔(なぐさとべ)長身説」を
追いかけてみました。
この話は取材中に入手していたのですが、
たしかな資料が出てこなかったので
本文には書きませんでした。
ただ内容がとても面白かったので
いろいろ資料をあさって
ここで紹介したいと思います。
感想や意見をどんどん
ツイートしていただければ嬉しいです。
twitter は @nagusatobe です。
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名草戸畔長身説の謎
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 小野田寛郎氏に取材した際、いろいろと面白い話を聞いたが、本には収まらなかった話がいくつかある。そのひとつが「ナグサトベは長身だった」という説だ。
  小野田口伝は、小野田寛郎氏が戦争に行く前にお父様から聞いた話で、外部の誰かによって手が加えられた話ではない。小野田氏は戦後約三十年間もルバング島 で過ごし、帰国後はブラジルに渡って牧場を立ち上げ、忙しい日々を過ごしてきた。自身で古代史を調べたりすることはなかったと思う。本が出来た後、わたし は、小野田氏から「父から聞いた話がまったく荒唐無稽な作り話でないことがわかり、ほっとした」という内容のお手紙をいただいた。
  ナグサトベが長身という話は、小野田口伝のなかでも異彩を放っていた。一般に縄文人の人骨は小柄で、弥生人のほうは長身といわれている。縄文人の血をひく ナグサトベが長身といわれてもピンとこない。なぜそのような説が小野田家に伝わっていたのだろうか。わたしはこの口伝の裏付けをとるために奔走したがそ、 とうとう資料が見つからなかった。頁数の関係もあって、残念ながら、『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』から、「ナグサトベ長身説」ははずしてしまった。
  あれはつい先日のことだった。ふらっと入った近くの古書店で、興味深い本をみつけた。タイトルは『神武移住団と結んだポリネシアンの秘史〜大和王朝の水 軍』。著者は中島洋氏。1967年、双葉社刊。目次を読むと、第一章のタイトルが「ポリネシアン、熊野に来たる」だ。わたしはこの本を目にしたときに、小 野田氏が語ってくれた「ナグサトベ長身説」が脳裏によみがえった。
『神 武移住団と結んだポリネシアンの秘史〜大和王朝の水軍』は、古代、紀伊半島に移住したポリネシア人がいたことを様々な証拠を元に推測した本だった。熊野に は、地元の人たちに「猪垣(ししがき)」と呼ばれる謎の遺跡がある。この遺跡は、年代も用途もまったく不明で伝承も口伝もない。昭和49〜50年にかけて 大阪の古代史研究家・野村孝彦氏によって発見された。中島氏は、著書の中で、この遺跡がハワイやオアフ島など、ポリネシアの島にある石垣とよく似ているこ とを知り、紀伊半島にはポリネシアからの移住団が存在したのではないか、と考えた。ポリネシアとは、ニュージーランドとイースター島、ハワイ島を頂点とし た三角形の海域を指す。太平洋のど真ん中の広大な海域だ。
  ポリネシア人は、アジア人と同じモンゴロイドだが、西欧人のように長身でがっしりとした体格をしている。中島氏は、先住系のナガスネヒコは、熊野から大阪 に移住したポリネシアンと推測し「ナガスネヒコというのは身体の大きいポリネシアンに倭人がつけた別名だったのでは」と語る。そういえば、15世紀に実在 した与那国島の女王サンアイ・イソバも巨漢の女性だったそうだ。琉球では15世紀になっても縄文時代のような暮らしや文化が続いていた。かつてポリネシア 系の遺伝子をもつ人たちが琉球にも移住したのだろうか。そういう推測も成り立つ。
  先住民が長身だという説のソースの根っこにはポリネシアの存在があるのかもしれない。だとすると、小野田口伝がいうように、ナグサトベが長身の女王だった としても違和感はない。ポリネシア人のルーツは古代名草の人たちと同じ東南アジアの人たちだ。東南アジアの人たちは、人が増えすぎた、あるいは、他民族の 襲来などの理由により、様々な地域に移住した。名草の人たちのように、大陸沿岸を通って九州に上陸したと考えられるグループもいれば、ポリネシアの島々に 移住した人たちもいたと思われる。ポリネシア人の祖先が、東南アジアからフィジー、トンガ、サモア諸島、ハワイなどの島々に住み始めた時期は今から 3000年ぐらい前らしい。中島氏は、それを考慮すると、ポリネシア人が紀伊半島に移住したのは、紀元0年頃、つまり2000年ほど前ではないかという。 「小野田口伝」とは、移住ルートも移住の年代も違うけれど、紀伊半島には東南アジアをルーツとする、長身の古代人が途中でやってきたのかもしれない。名草 の人たちは本にも書いたように、いろんな人種とのハイブリッドだと思われる。この長身の人たちと融合したとしてもおかしくはない。小野田氏からいただいた 手紙によると、江戸時代、紀州人の刀は、平均の二尺二〜三寸より長く、二尺五〜六寸のものが好まれたという。その理由は、紀州人が日本人の平均より手足が 長く長身であったからだという。
  紀北のナグサトベに対して、紀南熊野を治めていたと伝わる女王・丹敷戸畔(にしきとべ)にまつわる、興味深い話がある。わたしがナグサトベについて調べ初 めて間もない頃、インターネット上で、次の内容の記事を見つけた。「戸畔(とべ)の森=串本町二色」と題された、2005年2月25日の記事だ。
 和歌山県の串本町二色には、「トベの森」といわれるこんもりとした小山がある。以前、わたしは、社長とフォトグラファーの小野田麻里さんと紀伊半島を一周したとき、この森に立ち寄ったことがある。
  記事によると、「この山の下に、トベの墓を守ってきた旧家がある」という。旧家とは、松井萬次さん(2005年当時93歳)の家だ。案内してくれたのは、 古座町文化財委員の上野一夫氏。何でも、松井さんの家には江戸時代初めから明治末までの一族の墓碑を写した古文書があった。古文書は漢文で書かれているの で、簡単には読むことはできない。そこで松井さんは上野氏に解読を依頼したそうだ。以下、記事の一部を抜粋させていただく。
<引用開始>
 筆で書かれた漢文を古座古文書研究会の谷口哲夫さんに解説してもらうと、内容はこうだ。
  「当家は二色戸畔の子孫か。塔の峰に埋められた瓶(かめ)で歴然としているように思える。寛政頃に瓶の中を盗まれ、安政の大津波で家にあった書き置きや宝 物は、家財と共に流されて今となっては調べようがない。語り伝えられてきたことを書き付けるしかない。塔の峰の石塔の下に古い瓶があり、長身の成人の朽ち た骨があった」
 「先祖のことを明らかにしてほしい」と子孫に託して序文は終わる。
<引用終わり>
(※二色は原文のまま)
  古文書によると、ニシキトベの墓といわれている塔の下に、長身の成人の朽ちた骨が瓶に収められていたという。ニシキトベは、紀北のナグサトベ同様、神武に はむかって殺されたと伝わる伝説の女王だ。長身の骨が本当にあったかどうか確かめようがないが、長身の女王と聞くと、鉄の農具をもって攻めてきた軍勢と 戦った与那国島のサンアイ・イソバを連想してしまう。
 紀州熊野には、かつて長身のポリネシアンの血を引く古代人がたくさん暮らしていたのかもしれない。そんなことを想像すると、今まで見えてこなかった古代の風景をイメージすることができる。
 さて、ではポリネシアにはどんな文化があったのだろうか。来月は、ポリネシアの文化とナグサトベについて検証していきたい。では、また満月の日に。
2011年5月17日 なかひら まい

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なかひら まい公式サイト:http://studiomog.ne.jp/nakahira/
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