名草戸畔 長身説の謎

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月刊 なぐさとべ vol.01
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今回から配信がはじまった
月刊 なぐさとべ。
第1回目は「名草戸畔(なぐさとべ)長身説」を
追いかけてみました。
この話は取材中に入手していたのですが、
たしかな資料が出てこなかったので
本文には書きませんでした。
ただ内容がとても面白かったので
いろいろ資料をあさって
ここで紹介したいと思います。
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名草戸畔長身説の謎
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 小野田寛郎氏に取材した際、いろいろと面白い話を聞いたが、本には収まらなかった話がいくつかある。そのひとつが「ナグサトベは長身だった」という説だ。
  小野田口伝は、小野田寛郎氏が戦争に行く前にお父様から聞いた話で、外部の誰かによって手が加えられた話ではない。小野田氏は戦後約三十年間もルバング島 で過ごし、帰国後はブラジルに渡って牧場を立ち上げ、忙しい日々を過ごしてきた。自身で古代史を調べたりすることはなかったと思う。本が出来た後、わたし は、小野田氏から「父から聞いた話がまったく荒唐無稽な作り話でないことがわかり、ほっとした」という内容のお手紙をいただいた。
  ナグサトベが長身という話は、小野田口伝のなかでも異彩を放っていた。一般に縄文人の人骨は小柄で、弥生人のほうは長身といわれている。縄文人の血をひく ナグサトベが長身といわれてもピンとこない。なぜそのような説が小野田家に伝わっていたのだろうか。わたしはこの口伝の裏付けをとるために奔走したがそ、 とうとう資料が見つからなかった。頁数の関係もあって、残念ながら、『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』から、「ナグサトベ長身説」ははずしてしまった。
  あれはつい先日のことだった。ふらっと入った近くの古書店で、興味深い本をみつけた。タイトルは『神武移住団と結んだポリネシアンの秘史〜大和王朝の水 軍』。著者は中島洋氏。1967年、双葉社刊。目次を読むと、第一章のタイトルが「ポリネシアン、熊野に来たる」だ。わたしはこの本を目にしたときに、小 野田氏が語ってくれた「ナグサトベ長身説」が脳裏によみがえった。
『神 武移住団と結んだポリネシアンの秘史〜大和王朝の水軍』は、古代、紀伊半島に移住したポリネシア人がいたことを様々な証拠を元に推測した本だった。熊野に は、地元の人たちに「猪垣(ししがき)」と呼ばれる謎の遺跡がある。この遺跡は、年代も用途もまったく不明で伝承も口伝もない。昭和49〜50年にかけて 大阪の古代史研究家・野村孝彦氏によって発見された。中島氏は、著書の中で、この遺跡がハワイやオアフ島など、ポリネシアの島にある石垣とよく似ているこ とを知り、紀伊半島にはポリネシアからの移住団が存在したのではないか、と考えた。ポリネシアとは、ニュージーランドとイースター島、ハワイ島を頂点とし た三角形の海域を指す。太平洋のど真ん中の広大な海域だ。
  ポリネシア人は、アジア人と同じモンゴロイドだが、西欧人のように長身でがっしりとした体格をしている。中島氏は、先住系のナガスネヒコは、熊野から大阪 に移住したポリネシアンと推測し「ナガスネヒコというのは身体の大きいポリネシアンに倭人がつけた別名だったのでは」と語る。そういえば、15世紀に実在 した与那国島の女王サンアイ・イソバも巨漢の女性だったそうだ。琉球では15世紀になっても縄文時代のような暮らしや文化が続いていた。かつてポリネシア 系の遺伝子をもつ人たちが琉球にも移住したのだろうか。そういう推測も成り立つ。
  先住民が長身だという説のソースの根っこにはポリネシアの存在があるのかもしれない。だとすると、小野田口伝がいうように、ナグサトベが長身の女王だった としても違和感はない。ポリネシア人のルーツは古代名草の人たちと同じ東南アジアの人たちだ。東南アジアの人たちは、人が増えすぎた、あるいは、他民族の 襲来などの理由により、様々な地域に移住した。名草の人たちのように、大陸沿岸を通って九州に上陸したと考えられるグループもいれば、ポリネシアの島々に 移住した人たちもいたと思われる。ポリネシア人の祖先が、東南アジアからフィジー、トンガ、サモア諸島、ハワイなどの島々に住み始めた時期は今から 3000年ぐらい前らしい。中島氏は、それを考慮すると、ポリネシア人が紀伊半島に移住したのは、紀元0年頃、つまり2000年ほど前ではないかという。 「小野田口伝」とは、移住ルートも移住の年代も違うけれど、紀伊半島には東南アジアをルーツとする、長身の古代人が途中でやってきたのかもしれない。名草 の人たちは本にも書いたように、いろんな人種とのハイブリッドだと思われる。この長身の人たちと融合したとしてもおかしくはない。小野田氏からいただいた 手紙によると、江戸時代、紀州人の刀は、平均の二尺二〜三寸より長く、二尺五〜六寸のものが好まれたという。その理由は、紀州人が日本人の平均より手足が 長く長身であったからだという。
  紀北のナグサトベに対して、紀南熊野を治めていたと伝わる女王・丹敷戸畔(にしきとべ)にまつわる、興味深い話がある。わたしがナグサトベについて調べ初 めて間もない頃、インターネット上で、次の内容の記事を見つけた。「戸畔(とべ)の森=串本町二色」と題された、2005年2月25日の記事だ。
 和歌山県の串本町二色には、「トベの森」といわれるこんもりとした小山がある。以前、わたしは、社長とフォトグラファーの小野田麻里さんと紀伊半島を一周したとき、この森に立ち寄ったことがある。
  記事によると、「この山の下に、トベの墓を守ってきた旧家がある」という。旧家とは、松井萬次さん(2005年当時93歳)の家だ。案内してくれたのは、 古座町文化財委員の上野一夫氏。何でも、松井さんの家には江戸時代初めから明治末までの一族の墓碑を写した古文書があった。古文書は漢文で書かれているの で、簡単には読むことはできない。そこで松井さんは上野氏に解読を依頼したそうだ。以下、記事の一部を抜粋させていただく。
<引用開始>
 筆で書かれた漢文を古座古文書研究会の谷口哲夫さんに解説してもらうと、内容はこうだ。
  「当家は二色戸畔の子孫か。塔の峰に埋められた瓶(かめ)で歴然としているように思える。寛政頃に瓶の中を盗まれ、安政の大津波で家にあった書き置きや宝 物は、家財と共に流されて今となっては調べようがない。語り伝えられてきたことを書き付けるしかない。塔の峰の石塔の下に古い瓶があり、長身の成人の朽ち た骨があった」
 「先祖のことを明らかにしてほしい」と子孫に託して序文は終わる。
<引用終わり>
(※二色は原文のまま)
  古文書によると、ニシキトベの墓といわれている塔の下に、長身の成人の朽ちた骨が瓶に収められていたという。ニシキトベは、紀北のナグサトベ同様、神武に はむかって殺されたと伝わる伝説の女王だ。長身の骨が本当にあったかどうか確かめようがないが、長身の女王と聞くと、鉄の農具をもって攻めてきた軍勢と 戦った与那国島のサンアイ・イソバを連想してしまう。
 紀州熊野には、かつて長身のポリネシアンの血を引く古代人がたくさん暮らしていたのかもしれない。そんなことを想像すると、今まで見えてこなかった古代の風景をイメージすることができる。
 さて、ではポリネシアにはどんな文化があったのだろうか。来月は、ポリネシアの文化とナグサトベについて検証していきたい。では、また満月の日に。
2011年5月17日 なかひら まい

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