月刊なぐさとべ2011年11月11日号

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月刊 なぐさとべ vol.07
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前回は、奄美大島に残る祭祀を元に、名草戸畔(なぐ
さとべ)祭祀を想像してみた。そこで今回は、さらに踏
み込んで、祀る対象である自然の精霊の姿について考え
てみた。精霊信仰は、名草地方(現:和歌山市海南市)
に限らず、世界中に普遍的に存在している。しかし、精
霊そのものの話となると、ナグサトベのルーツや歴史か
ら外れてしまうため、本文に上手く入らなかった。ここ
では、水木しげる氏の妖怪解釈や、人類学者の岩田慶治
氏を参考に、ナグサトベのルーツ、東南アジアの精霊を
紹介したい。

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東南アジアの精霊と八百万の神
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〈妖怪と古代の精霊〉

ナグサトベの生きた時代、人々は、山や海、水や石に
宿る精霊を畏れ敬って暮らしていた。人々は、精霊と共
に生きていたのだ。では、精霊と共に生きるとは、一体
どういうことなのだろう。この答えは、意外に身近なと
ころにある。それは「妖怪」だ。
わたしの小学生のころの愛読書は、水木しげるの『小
学館入門百科シリーズ32 妖怪なんでも入門』だった。
後から調べると、この本は、昭和49年(1974)鬼太
郎ブーム到来と共に水木しげるが初めて記した、子供向
け妖怪入門書であった。当時はまだ妖怪が今のようにキ
ャラクター化されて世間に浸透していなかったせいか、
第1章の「妖怪を知る7つのポイント」には、妖怪の本
質について、しっかりしたことが書かれている。一部を
抜粋する。

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大昔の人々は、万物にたましいのようなものが宿って
いると考えていた。すなわち、木には木のたましいがあ
り、石には石のたましいがあり、夜寝しずまったころ、
踊りを踊っているかもしれないと考えていた。
妖怪のなかには、そうした大昔からいるようなものも
あり、江戸時代の人が、作ったり感じたりしたものもま
じっている。
感じたり、というのは、たとえば夜道を歩いていると、
ことにまっ暗な田んぼの道などの場合、なんとなく気持
ちがわるいので、急ぎ足になる。そうなると、よく足が
もつれたようになって思うように進まない。
すると恐怖心は倍になる。そんなとき、足にまつわり
ついているのは「すねこすり」という妖怪だ、というわ
けだ。
しかし、目には見えていなくても、そういう妖怪がい
ると考えたほうが、そのときの気持ちをよく表現できる。
そんなとき、妖怪は誕生するのだろう。

『小学館入門百科シリーズ32 妖怪なんでも入門』水
木しげる・著(小学館)
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夜の田んぼ道のような気持ちの悪い道を歩いていて、
思うように進まないとき、恐怖心に駆られて足に「すね
こすり」がまつわりついていると感じる、という文章に
は、「妖怪を感じる瞬間」の心の状態が的確に表現され
ている。妖怪とは、本来は、目には見えないけど何かが
いる、という感じのことであった。
この妖怪の定義は、そのまま精霊に置き換えたとして
も間違いではない。そして、水木氏は、こうした妖怪の
根源には、万物にたましいのようなものが宿ると考えて
いた「大昔の人」の心があると述べている。この「大昔」
は、感覚的に捉えると、ナグサトベの時代ぐらいのこと
だろう。

〈タイのピー信仰とナグサトベ〉

古来、万物のたましい、すなわち精霊は、目には見え
ないが存在していて、人間の暮らしに影響を及ぼすと考
えられてきた。前回、紹介した奄美大島の「ミャー」も、
何もない原っぱの空間そのものが神域と認識されてい
た。そこにいるカミ(精霊)は目には見えないが、人々
は豊穣や暮らしの安全をその原っぱで祈るのだ。
奄美大島のミャーとよく似たものが、東南アジアの「ピ
ー信仰」だ。ピー信仰を日本に紹介した岩田慶治氏は、
タイやラオス、ボルネオなど東南アジアの調査をおこな
ったことで知られる人類学者だ。タイやラオスは、ナグ
サトベのルーツと思われるスンダランドの一部でもあ
る。

タイやラオスでは、森、海、山、川、空気、犬、猫な
どの動物、人間の祖先に到るまで、森羅万象に「ピー」
という精霊が宿っていると信じられている。ピーは、目
に見えないが確かに存在していて、村の中や、村周辺の
森林に、祭りのたびに去来するピーを祀るための村祀
(そんし=ピーの家)が建てられている。村人は、何も
いないピーの家に、ケイトウの花や線香が供える。
このピーは、人間の暮らしに様々な影響を及ぼす。た
とえば、ご先祖のピーは、供物を捧げて祀ることで子孫
を守ってくれる。稲は大切なものなので、田んぼの隅に
稲のピーを祀る小さな「ピーの家」を建てて大切に祀り、
豊穣を祈る。しかし、稲に悪さをする悪霊ピーもいるの
で、ターレオという呪具を立てて悪霊ピーの侵害を防ぐ。
荒れ狂う危険な川も恐ろしい川ピーの仕業だ。病気にな
ったときも、悪霊ピーの仕業になることもあるという。
そんなときはモー・ピーという呪術師に頼んで対処して
もらうこともあるそうだ。そんな悪霊ピーと同時に、神
聖な樹木のピーもある。ピーの木は、日本のご神木のよ
うに供物を並べて祀られている。
このようにピーは、善と悪という枠組みで捉えられる
ものではない。人間の想像を超えた働きをする自然や、
亡くなった祖先と生きている人間の関係、原因の分から
ない病気など、暮らしの中で起こる様々な現象にピーが
関わっていると信じられているのだ。

ナグサトベの時代を生きた人たちが感じていた世界観
もピー信仰とよく似たものだったのではないだろうか。
ナグサトベたちも、精霊とコンタクトを取りながら、自
然と持ちつ持たれつで暮らしていたと想像するとイメ
ージが広がる。
わたしは、人間の心には、目に見える物質に、目に見
えない何かの働きがあると感じ取ることによって、はじ
めてものごとを了解する機能が存在しているように思
う。心が感じ取る、言葉で説明できない何かは、科学技
術や心理学がいかに発展しようとも、ピーや精霊、妖怪
としか表現できないのだ。

このピーは、日本の八百万の神ともよく似ている。鎮
守の森に建つ日本の神社は、がらんどうで偶像が祀られ
ているわけではない。本来、森そのものがカミであり、
森を神域として守るために社を建てたのだろう。これは、
タイの森林に建つピーの家によく似ている。東南アジア
から日本列島に到るアジアの広い範囲で、共通のアニミ
ズム信仰が息づいているのだ。なお、日本の神社をピー
のいる場所と見立てて、ピーを探すルポを、季刊『レポ』
4、5号に「ピー・スポットを探せ!」を寄稿したので、
日本の八百万の神とピーについては、ここでは繰り返さ
ない。そちらをお読みいただけば幸いだ。

〈漂泊の森の民~ピー信仰の根源~〉

タイのピー信仰は、主に平地で稲作と自然採集で暮ら
している村落に見られる。村の中には祖先を祀るピーの
家があり、田んぼには稲を祀るピーの家があり、村の周
辺の森林には木々に畏敬の念をこめてピーの家が建っ
ている。日本の農村を彷彿とさせる光景だ。祭祀につい
ては、ラオス北部のパ・タン村では、モー・モーという
巫女が村に何人もいるという。女性が神を取り次ぐとこ
ろは、ナグサトベに似ている。さらに平地に行くと、司
祭の男性と巫女のセットで祭祀を行うスタイルになる
そうだ。これはヒメヒコ制によく似ている。ナグサトベ
たちは、共同体を作って協力し合い、半農半漁の暮らし
をしていたと思われるので、あくまで想像だが、古代名
草にはパ・タン村のような光景が広がっていたのかもし
れない。

タイやラオスには、パ・タン村のラオ族やタイ族の他
にも、様々な民族が暮らしている。現在は存在している
かどうか不明だが、タイ北部の森には、自然採集のみで
暮らす漂泊民がいた。ピー・トング・ルアング族という。
「ピー・トング・ルアング」とは、タイ語で「黄色い葉
の精霊」という意味だそうだ。深い森でどんな暮らしを
しているのかよく分からない彼らを見た他の部族がつ
けた名だ。彼ら自身は、自分たちを「ユンブリ」と呼ぶ。
(『黄色い葉の精霊』ベルナツィーク・著/大林太良・
訳)
このピー・トング・ルアング族の精霊の捉え方は、ナ
グサトベよりさらに古い時代を連想させる。
彼らは、精霊はジャングルの「特定の木」に棲んでい
ると信じているという。特に太い木の幹には、父、母、
子の3人の精霊の家族が住んでいるそうだ。精霊は、水、
岩、山にはいない。樹木だけにいる。精霊の中には、ド
カット、バアと呼ばれる悪い精霊、グルライという善い
精霊がいる。ドカットは人間に危害を及ぼす存在で、住
処の前を通ると死ぬと信じられている。ドカットは河床
に棲んでいる。善い精霊グルライは木に棲み、人々を保
護してくれるそうだ。精霊に捧げる供物は、簡単に編ん
だ竹の皿の上に乗せた葉に置かれるだけ。祭壇や社はな
い。祭祀を行う巫女のような職能も存在しない。祭祀は
誰でも行うことができる。
原始林の中で、木の実や食べられる植物など、森の恵
みを食べて生きるきわめて原始的暮らし。野生動物に対
する抵抗力も弱く、川岸を歩いているときに子供が虎に
襲われて死ぬことも多いという。彼らは、森の精霊と共
に、生きることを生き、身体が動かなくなったら死んで
森に還るだけの人生を全うする。

彼らの暮らしには、簡単な祭祀しかなく、祭祀から派
生する縄文土器や埴輪のような芸術もない。文明という
ものを根幹から覆すような社会といえる。しかし、自然
の猛威に圧倒されるままで、病気や怪我をしたら死ぬに
任せるだけだというのに、自殺はいけないこととみなさ
れているそうだ。この状況において、この気高い精神は
いったい、どこから生まれてくるのだろうか。お金や時
間に支配され、窮屈に生きるわたしとは大違いだ。

そして、このか弱い森の民が、よき精霊は樹木にいる
と信じていることは興味深い。そこには、森の生命に対
する深いリスペクトが現れているような気がしてなら
ない。ナグサトベ以前の時代の、遠い夢の時代の片鱗が
ここにある。
今なお自然や自分たちの心までも破壊しつづける現代
人は、彼らの暮らしに何かを学ぶ必要があるのではない
だろうか。

2011年11月11日 満月 なかひら まい

参考文献
『小学館入門百科シリーズ32 妖怪なんでも入門』
水木しげる・著(小学館)
『草木虫魚の人類学』岩田慶治・著(淡交社)
『黄色い葉の精霊 インドシナの山岳民族誌』
ベルナツィーク・著/大林太良・訳(東洋文庫)

それでは、次回の配信をお楽しみに!

●ピー・スポットを探せ!
好評発売中の北尾トロ責任編集『レポ』4号・5号にて、
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月刊なぐさとべ2011年10月12日号

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月刊 なぐさとべ vol.06
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縄文の昔を生きた名草戸畔(なぐさとべ)が一体どん
な祭祀をしていたのか、という問題には、なかなかたど
り着くことができない。その理由は、五畿内のすぐとな
りに位置する和歌山には、早い時期に仏教などが移入し
たため、古い祭祀のことはよくわからないからだ。樹木
や山や清水を信仰していたことまでは想像がつくが、実
際の祭祀はどんなものかといわれても、確証のある答え
はない。しかし、ヤマト政権から離れた南九州や沖縄な
どの地域には、今もその片鱗が残っている。直接、ナグ
サトベに関わる資料とはいえないため『名草戸畔 古代
紀国の女王伝説』本文では取り上げることはできなかっ
たが、わたしはナグサトベもよく似た祭祀を行っていた
のではないか、と想像した。今回の「月刊 なぐさとべ」
では、『奄美に生きる日本古代文化』金久正・著を参考
にしながら、南の縄文の祭祀と名草戸畔(なぐさとべ)
を重ね合わせてみた。

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原っぱの祭祀場ミヤとナグサトベの祭祀
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奄美大島の民族学者、金久正(かねひさただし)によ
ると、奄美大島には「ミャー草(宮草)」と呼ばれる空
き地があるそうだ。そこは誰が見ても、草がぼうぼう生
えたただの空き地にしか映らないという。ところが、村
の年中行事となると、このミャーは神聖な祭祀場へと変
貌するというのだ。
ミャーは、明らかに「宮」の訛りだ。かつては、村の
空き地に祭祀をするための宮を建てていたが、次第に宮
の立つ空き地ごと「ミャー」や「ミャード」などと呼ば
れるようになったらしい。この空き地は、開墾したり木
を伐ったりすると障りがあるといわれ、今でも手つかず
で残されているそうだ。
奄美渡島や沖縄にはノロと呼ばれる神官(巫女)がい
る。おそらく奄美大島では、ノロが神聖な原っぱに建て
た宮(ホコラ)=ミャーに向かって祈り、祭祀を行って
いたのだろう。
地域によっては、ミャーのそばには「刀禰屋(トネヤ)」
という建物が立っているそうだ。
トネとは、村の長を表す言葉で、平安時代の文献など
にたびたび登場する。トネヤとは、「村長の屋敷」と解
釈できる。加計呂麻(かけろま)島東部の諸数(しょか
ず)部落には、空き地にトネヤシキがあり、今では個人
の住宅になっているが、かつては神官ノロが住んでいた
そうだ。

トネの語感は、名草戸畔(なぐさとべ)の「戸畔(ト
ベ)」によく似ている。また、ミャーのたたずまいは、
名草山の麓、吉原に鎮座する「中言神社」のホコラを連
想させる。「中言神社」は大きな社が建っているわけで
はなく、名草山の麓の木々に向かってこじんまりと佇ん
でいる。当然、社が建つ前は小さなホコラだけであって、
それ以前は空間そのものにカミサマが宿っていたはず
だ。そうやって考えていくと、ナグサトベが、奄美大島
の神官ノロのように、小さな神聖な空間でホコラに向か
って祈っていた姿が心のなかに浮かんでくる。

神々に祈りを捧げるミャーは、山の上の方と海の方に
あるそうだ。山では山神を祀り、海では海の神を祀って
いるという。ミャーは、最初は山にだけあったが、農耕
の発達により、人々が徐々に平地に進出していき、海に
も作られるようになったと考えられている。現在もミャ
ーは両方にあるのだが、山のミャーのなかには忘れられ
ているものもあるらしい。
そういえば、名草山の南にある「内原神社」の宮司さ
は「昔、お社はもっと山の上の方にあったのだが、平地
に進出するにつれ、裾に移動していった」と話していた。

ミャーのホコラの構造は、茅葺きの小屋で、西の真ん
中に戸口があり、北側に入り口があるが戸はなく開けっ
ぴろげだ。周囲は板壁で、上部には屋根がなく、青空が
覗いている。
これとよく似た神社が紀伊半島・熊野の山中にある。
天井がないばかりか、社そのものもない神社だ。何でも
屋根のあるお社を造ると、火事で燃えてしまうのだとい
う。
その神社の祭神もよくわかっておらず、山で仕事をす
る人たちが、山の中に生えた樹木をご神木として大切に
した森を「神林」として祀ったのではないか、といわれ
ている。
屋根を作らなかったのは、その森林の精霊が出入りで
きなくなってしまうからではないだろうか。つまりお社
と「神林」は一体となってこそ意味をなすのだ。お社に
屋根をつけてフタをすると、カミサマが怒って火事を起
こすのかもしれない。
名草から目と鼻の先の山深い熊野には、まだ奄美大島
とよく似た古代のアニムズム信仰が残っている。

名草地方には、はっきりしたかたちで祭祀が残ってい
るわけではない。しかし、日本全国を見渡すと、古代の
祭祀の片鱗をあちこちに見出すことができる。想像力を
働かせ、それらをナグサトベたちに重ね合わせ、祭祀を
行う様子を思い浮かべてみるのもいいだろう。

『奄美に生きる日本古代文化』は、2011年7月に南方
新社より復刊した。ご興味のある方はぜひお読み下さい。

2011年10月12日満月 なかひら まい