月刊なぐさとべ2011年10月12日号

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月刊 なぐさとべ vol.06
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縄文の昔を生きた名草戸畔(なぐさとべ)が一体どん
な祭祀をしていたのか、という問題には、なかなかたど
り着くことができない。その理由は、五畿内のすぐとな
りに位置する和歌山には、早い時期に仏教などが移入し
たため、古い祭祀のことはよくわからないからだ。樹木
や山や清水を信仰していたことまでは想像がつくが、実
際の祭祀はどんなものかといわれても、確証のある答え
はない。しかし、ヤマト政権から離れた南九州や沖縄な
どの地域には、今もその片鱗が残っている。直接、ナグ
サトベに関わる資料とはいえないため『名草戸畔 古代
紀国の女王伝説』本文では取り上げることはできなかっ
たが、わたしはナグサトベもよく似た祭祀を行っていた
のではないか、と想像した。今回の「月刊 なぐさとべ」
では、『奄美に生きる日本古代文化』金久正・著を参考
にしながら、南の縄文の祭祀と名草戸畔(なぐさとべ)
を重ね合わせてみた。

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原っぱの祭祀場ミヤとナグサトベの祭祀
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奄美大島の民族学者、金久正(かねひさただし)によ
ると、奄美大島には「ミャー草(宮草)」と呼ばれる空
き地があるそうだ。そこは誰が見ても、草がぼうぼう生
えたただの空き地にしか映らないという。ところが、村
の年中行事となると、このミャーは神聖な祭祀場へと変
貌するというのだ。
ミャーは、明らかに「宮」の訛りだ。かつては、村の
空き地に祭祀をするための宮を建てていたが、次第に宮
の立つ空き地ごと「ミャー」や「ミャード」などと呼ば
れるようになったらしい。この空き地は、開墾したり木
を伐ったりすると障りがあるといわれ、今でも手つかず
で残されているそうだ。
奄美渡島や沖縄にはノロと呼ばれる神官(巫女)がい
る。おそらく奄美大島では、ノロが神聖な原っぱに建て
た宮(ホコラ)=ミャーに向かって祈り、祭祀を行って
いたのだろう。
地域によっては、ミャーのそばには「刀禰屋(トネヤ)」
という建物が立っているそうだ。
トネとは、村の長を表す言葉で、平安時代の文献など
にたびたび登場する。トネヤとは、「村長の屋敷」と解
釈できる。加計呂麻(かけろま)島東部の諸数(しょか
ず)部落には、空き地にトネヤシキがあり、今では個人
の住宅になっているが、かつては神官ノロが住んでいた
そうだ。

トネの語感は、名草戸畔(なぐさとべ)の「戸畔(ト
ベ)」によく似ている。また、ミャーのたたずまいは、
名草山の麓、吉原に鎮座する「中言神社」のホコラを連
想させる。「中言神社」は大きな社が建っているわけで
はなく、名草山の麓の木々に向かってこじんまりと佇ん
でいる。当然、社が建つ前は小さなホコラだけであって、
それ以前は空間そのものにカミサマが宿っていたはず
だ。そうやって考えていくと、ナグサトベが、奄美大島
の神官ノロのように、小さな神聖な空間でホコラに向か
って祈っていた姿が心のなかに浮かんでくる。

神々に祈りを捧げるミャーは、山の上の方と海の方に
あるそうだ。山では山神を祀り、海では海の神を祀って
いるという。ミャーは、最初は山にだけあったが、農耕
の発達により、人々が徐々に平地に進出していき、海に
も作られるようになったと考えられている。現在もミャ
ーは両方にあるのだが、山のミャーのなかには忘れられ
ているものもあるらしい。
そういえば、名草山の南にある「内原神社」の宮司さ
は「昔、お社はもっと山の上の方にあったのだが、平地
に進出するにつれ、裾に移動していった」と話していた。

ミャーのホコラの構造は、茅葺きの小屋で、西の真ん
中に戸口があり、北側に入り口があるが戸はなく開けっ
ぴろげだ。周囲は板壁で、上部には屋根がなく、青空が
覗いている。
これとよく似た神社が紀伊半島・熊野の山中にある。
天井がないばかりか、社そのものもない神社だ。何でも
屋根のあるお社を造ると、火事で燃えてしまうのだとい
う。
その神社の祭神もよくわかっておらず、山で仕事をす
る人たちが、山の中に生えた樹木をご神木として大切に
した森を「神林」として祀ったのではないか、といわれ
ている。
屋根を作らなかったのは、その森林の精霊が出入りで
きなくなってしまうからではないだろうか。つまりお社
と「神林」は一体となってこそ意味をなすのだ。お社に
屋根をつけてフタをすると、カミサマが怒って火事を起
こすのかもしれない。
名草から目と鼻の先の山深い熊野には、まだ奄美大島
とよく似た古代のアニムズム信仰が残っている。

名草地方には、はっきりしたかたちで祭祀が残ってい
るわけではない。しかし、日本全国を見渡すと、古代の
祭祀の片鱗をあちこちに見出すことができる。想像力を
働かせ、それらをナグサトベたちに重ね合わせ、祭祀を
行う様子を思い浮かべてみるのもいいだろう。

『奄美に生きる日本古代文化』は、2011年7月に南方
新社より復刊した。ご興味のある方はぜひお読み下さい。

2011年10月12日満月 なかひら まい